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大阪高等裁判所 昭和63年(う)487号 判決

本籍

京都府伏見区醍醐東合場町一五番地の一二

住居

右同所

建設業

村井英雄

昭和一一年八月九日生

右の者に対する所得税法違反、相続税法違反被告事件について、昭和六三年三月一四日京都地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 野田義治出席

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年及び罰金五〇〇万円に処する。

原審における未決勾留日数中六〇日を右懲役刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは、金八〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人三浦正毅、同湖海信成、同坂和優連名作成の控訴趣意書に記載のとおりであり(主任弁護人は、訴訟手続の法令違反の主張は撤回する旨述べた。)、これに対する答弁は、検察官和田博作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一法令適用の誤り及び事実誤認の主張について

論旨は、要するに、被告人が関与した各所得税及び相続税納税申告手続は、全日本同和会京都府・市連合会(以下「同和会」という。ただし「本部」ということもある。)が、税務対策として行った同和対策事業特別措置法(以下「措置法」という。)及び昭和四五年二月一〇日付官総二-六国税庁長官通達(以下「長官通達」という。)の趣旨により認められたいわゆる同和減税というべきものであり、また、税務当局の了承・容認のもとで行われたから、本件各納税申告行為は、正当であって所得税法二三八条一項、相続税法六八条一項の犯罪構成要件に該当しないものというべく、仮に構成要件該当性が認められるとしても、被告人は仮装債務を計上した申告であったことを知らなかったから、被告人にはほ脱の犯意及び違法性の認識がなかったのに、被告人につき所得税法違反、相続税法違反の事実を認め、これを前記各法条に問擬した原判決は、措置法、長官通達などの法令の解釈適用を誤った結果、事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するのに、原判決挙示の関係対応証拠によれば、原判示各事実は、構成要件該当性、ほ脱の犯意及び違法性の認識の点をも含め、これを優に肯認することができ、当審における事実取調べの結果によっても右認定判断は左右されず、原判決には、所論のような法令適用の誤りや事実誤認のかどはない。所論及び答弁にかんがみ若干説明を加える。

一  原審で取り調べられた関係証拠によると、同和会では、昭和五六年一月ころから事務局長長谷部純夫(以下「長谷部」という。)、事務局次長渡守秀治(以下「渡守」という。)及び当時の副会長鈴木元動丸(以下「鈴木」という。なお、同人は昭和五七年五月会長に就任した。)らにおいて、そのころ「税務対策」と称し、同和会の名義を用い、広く所得税、相続税等の納税者からカンパあるいは謝礼金、手数料等(以下「カンパ金等」という。)の名目で本来納付すべき正当な税額の約半額を目処に金員を徴した上納税申告の手続きの代行を請け負い、仮装債務計上等の手段方法によって納付税額を大幅に圧縮する過少申告を実行する計画を立て、申告書作成を長谷部が担当することなど決め、同和会支部等に納税義務者の紹介を依頼し、債務の存在を仮装するのに必要な内容虚偽の証憑書類を作成する仮装債権者として、昭和五六年五月有限会社同和産業(以下「同和産業」という。)なるペーパーカンパニーを設立し、鈴木が代表取締役、長谷部及び渡守が取締役、同和会乙訓支部長今井正義が監査役となったこと、納税申告行為の手段方法は、原判示のとおり、土地の譲渡にかかる所得税については、株式会社ワールド(以下「ワールド」という。)の同和産業に対する借入れ債務につき連帯保証人となった各納税義務者が、ワールドの破産により連帯保証債務履行のため当該不動産を他に譲渡し、その譲渡収入で右保証債務を履行したが、ワールドに対する求償不能によって保証債務履行額相当の損害を被ったと仮装し、相続税については、被相続人が同和産業に債務を負担しており、これを相続人において承継して支払ったなどと仮装したものであったこと、長谷部らは、各納税義務者からそれぞれ正当税額の約半額を目処にカンパ金等の名目で金員を受領し、前示のような仮装債務計上の方法を用いて所得税、相続税を過少に算出し、これに基づいて僅かな額を所得税、相続税として納付したうえ、その残りの約三割相当分を同和会に納入し、その余の金員を長谷部、鈴木、渡守らで分配取得しあるいは納税義務者を紹介してくれた者(個人及び同和会の支部)に与えていたこと、以上のような事実を認めることができる。

二  前記認定の事実に照らすと、同和会の行う税務対策は、不正の行為により税を免れるもので、所得税法二三八条一項、相続税法六八条一項の構成要件に該当することは明らかである。

三  ところで、所論は、右のような手段方法は、措置法及び長官通達の趣旨によりいわゆる同和減税として認められるものであり、大阪国税局ないし所轄税務署等の担当官らの指導、了解があり、仮装債務計上等の方法も、受け皿としての同和産業の設立を含め、税務署側の行政指導によるものであるなどと主張するが、この点については原判決が(補足説明)の項において同旨の主張に対しなした判断は概ね相当として是認することができる。すなわち

1  措置法は、同法一条、六条の規定からも明らかなように、歴史的、社会的理由から、生活環境等の安定、向上等が阻害されている同和地区住民の経済力の培養等を目的として国及び地方公共団体に対してこれを可能とする条件整備を行うもので、税の減免を規定しているものとは考えられない。また、長官通達は、右措置法の制定公布に伴い全国の国税局長あてに発せられたものであり、「〈1〉職員に対し、同和問題に関する認識を深め、国家公務員としていやしくも法の精神に反するような言動のないよう周知徹底をはかること。このため、局署において実情に応じ職員に対する研修等を実施すること。〈2〉同和地区納税者に対して、今後とも実情に則した課税を行うよう配慮すること」等を内容とするものであるが、我が国では、租税の創設改廃はもとより、納税義務者の範囲、課税対象、税率、税徴収の方法等はすべて法律によることを要する租税法律主義(憲法八四条)の原則をとっており、税法の上では同和地区納税者の税負担を軽減する規定は存せず、通達によって、税法にかかわる規定を創設したり、税法を変更できるものではなく、右通達が、法定の租税に対する減免につながるものでないことは文言上からも明らかである。同通達にいう実情に則した課税とは、糸田武久の供述(原審第三二回公判供述及び京都地方裁判所昭和六〇年(わ)第五四七号等第二二回公判調書中の同人の供述部分謄本)にも照らすと、課税処理の場面で各同和地区納税者の所得等の実態を機能的一般的でなく、個別的に慎重に把握するよう求める趣旨であって、同和地区納税者に対する税の減免を指示したものではない。したがって、措置法、長官通達が税の減免の根拠となり得ないことは明らかであり、記録を精査しても他に本件納税申告行為を適法と認める根拠を見出すことはできない。

2  次に、税務当局の了承・容認の点について検討するのに、長谷部をはじめ同和会関係者は、ほぼ同様に「同和会代表者らが昭和五五年一二月二日大阪国税局において、同局の担当係官に対し、従来部落解放同盟(以下「解同」という。)が実施してきた税務対策と同様の取扱いを同和会にも認めるよう要求したところ、当局も原則としてこれを了承し、『同和会では、行政に協力するという立場から解同のように納税額零というのではなく、正規税額の五ないし一〇パーセントを納税してもらいたい。後日上京税務署で具体的な手続きについて打合せをするように』といわれ、その結果同和会代表者らは同月八日上京税務署を訪ね、同署長らと話し合ったところ、税務署側は『今後同和会側を通してなされる納税申告については、各署総務課長を窓口とし、税額は、大阪国税局側の回答と同様、正規税額の一〇パーセント程度で了承する。』旨回答した」と供述している。一方解同は、昭和四三年大阪国税局長との間で七項目の確認を行ったとして確認事項と称する書面を発表しており、その内容を摘録すると、「〈2〉同和対策控除の必要性を認め、租税特別措置法の法制化に努める。その間の処置として、局長権限による内部通達によってそれにあてる。〈3〉企業連が指導し、企業連を窓口として提出される白、青色申告をとわず自主申告については全面的にこれを認める。ただし内容調査の必要ある場合には企業連を通じて企業連と協力して調査にあたる。〈4〉同和事業については課税の対象としない。〈5〉国税局に同和対策室を設置する。出来るまでの措置として担当は総務部長、窓口は総務課長とする。〈7〉協議団本部長(昭和四五年以降は国税不服審判所)の決定でも局長権限で変更することができる」などというものである。このうち、税務当局では、解同関係の同和地区住民の納税申告手続きについて、各地域の解同支部等においてこれを一括代行する便法を認めるとともに、税務署側に特別の窓口を設け、自主申告の内容を尊重すると同時に、税務調査にあたっては右解同支部等を通じて行うこととするなどの「実情に則した」配意を加える方針をとったこと、同和会の内部においても、昭和五五年ころ、解同に準じた取扱を得られるよう税務対策を講じるべきであるとの声が高まったところから、税務担当部署を設け、同部署の責任者など同和会の役員らが大阪国税局その他関係税務署に対する陳情を重ねた結果、翌五六年初めころ、同和会関係の納税者に対しても解同の場合とほぼ同様、申告納税手続の一括代行を認めるとともに、各税務署の受理手続担当者を一定するなどの処遇を受けられる結果となったこと、などの事実が認められる。しかしながら、右確認事項についていえば、その多くが法律に違反し、ないし法制上不可能の事項に属し、国税局がこのようなものを認めるとは到底考えられず、前記糸田武久の供述からも明らかなとおり解同側が大阪国税局に一方的に申し入れをしただけのものであって、大阪国税局の承認を経たものではないと認められる。したがって、長谷部らが、大阪国税局並びに上京税務署から、前記確認事項の存在を前提として同様の承認を得たと供述しているのは到底信用できず、前記糸田武久及び河辺康雄(京都地方裁判所昭和六〇年(わ)第五四七号等第九回公判調書中の同人の供述部分謄本)らが供述しているように、大阪国税局及び上京税務署の担当係官が、長谷部らの供述するような事柄について承諾を与えた事実はないと認められる。

3  もっとも、本件にあらわれた関係証拠によると、所論指摘のとおり〈1〉税務当局においては、同和会関係組織の代行にかかる所得税、相続税等の納税申告を受け付けるに際し、その申告内容につき、実質的な審査や立ち入った税務調査を実施することなく、もっぱら形式的な書面審査のみで申告内容を是認、受理するという対応に出ていたこと、〈2〉その結果同和産業名義の領収書等内容虚偽の証憑書類が頻繁に利用され、当局側が積極的な税務調査をしておれば、極めて容易に仮装債務計上等の不正行為を発見、指摘できた筈であるのに、こうした措置に出ないまま、事実上不正申告を見逃すという処理が行われていたこと等の事実が窺われるところ、所論は、右〈1〉、〈2〉の事実及び同和産業の設立は税務当局の示唆によることなどに照らすと、同和会による本件一連の税務対策が税務当局の了承のもとに行われてきたことが明らかである、という。しかしながら、税務当局の右対応は本件当時、同和関係の組織が税務当局に対し強固な発言力をもち、当局側も同和関係組織が代行する申告手続の内容に関してはできるだけせんさくしないという寛容な態度をとっていたことが原因と思料されるが、長谷部らはもとより被告人も右のような事情を熟知していたものと認められる。右のような税務当局の態度をもって税務当局が「了承」していたことの証左とすることはできない。また、同和産業の設立については、所論に沿う長谷部及び渡守(同人の承認尋問調書を含む。)の各供述、前記〈1〉、〈2〉の事実を総合して考えると、税務当局からの何らかの示唆があった疑いがないわけではないが、違法であることが誰の目にも明らかな本件不正の手段方法に照らすと、右示唆の有無が構成要件該当性や長谷部らの税務対策担当者の犯意に消長を来すものでないことは明らかである。

四  次に被告人のほ脱の犯意及び違法性の認識についてみるのに、原審で取り調べられた関係証拠によると、次の事実が認められる。すなわち

1  被告人は、解同に参加し、昭和五一年一一月ころ解同辰己支部が結成された際同支部の書記長に選任されたが、昭和五六年五月ころ内部における意見の対立から脱退し、同年六月ころ、長谷部や渡守らの勧めにより同和会辰己支部(以下「辰己支部」という。)を結成してその支部長となり、昭和五七年六月から同和会副会長となっていたものであること

2  被告人は、かねて解同がいわゆる零申告をしていることを聞いていたため、辰己支部を結成したころに長谷部から税務対策の話があった際、右の点などを問い質したところ、同人から、同和会においても税務対策として納税義務者に代わって所得税、相続税の申告手続をしていること、同和会は自民党を支持する団体であるから解同のように税金が零になるような申告をするのではなく、多少税金を収めるように申告するが、税務当局からつじつまが合うように書類を作ってくれといわれている、納税義務者からは正規の税額の半分位を同和会の方へカンパ金等として出してもらい、その中から税金を納めて、残りをその納税義務者を紹介した支部と本部とが半分ずつ分配して組織の運営資金にあてるようにしていることなどの説明を受け、かつ、同和地区以外の者についても同和会で税務対策を行い、カンパ金等を受領したいので、納税者を紹介して欲しい旨依頼されたこと(前記つじつま云々の点を否定する被告人の原審供述(第二回、第二二回ないし第二四回公判)は長谷部の原審供述(第一四回及び第二六回公判)及び同人の検察官に対する昭和六〇年七月二三日付供述調書謄本に照らし信用できない。)

3  被告人は、辰己地区住民の負担の軽減と解同との競争の観点から、長谷部に対し辰己支部の場合はカンパ金等の額を定めず自主カンパにしてくれるように要望して了解を得、また、同和地区以外の人のカンパ金等も正規税額の三割か四割でよいとの了解を取りつけたこと

4  被告人は、昭和五六年九月ころ、飯塚昇の妻の相続税につき、解同に依頼しようとしていた飯塚昇に対し、税金は同盟(解同)に頼めば(正規税額の)三割、同和に頼めば一割ですむ旨いって同和会に頼むように進めて了解を取りつけ同年一二月に申告納税を済ませたが、その税額は正規税額の一パーセント程度であった。また、同年一一月こと高岡政一から頼まれて同和会に取り次ぎ、いったん納付した所得税一一七〇万円全額が還付された。そして、被告人は昭和五七年三月一〇日ころ同人からカンパ金等として二二〇万円を受け取り、うち一二〇万円を支部に残し、一〇〇万円を本部に渡したこと

5  原判示第一の駒井は、昭和五六年一二月四日死亡した父平四郎の遺産の相続税の支払いに苦慮し、職場の同僚である前記高岡政一に相談したところ、同人から被告人を紹介され、昭和五七年一月被告人方に電話したことから被告人と関わりをもつようになったものである。被告人は長谷部とともに駒井に会い、駒井は相続税の申告手続を正規税額の三五パーセント位でやってくれるように頼み、被告人も同旨の口添えをして長谷部の了承を得たこと

被告人は駒井に対し納付書が作成されたこと、税金として二一九万九〇〇〇円を払い込むように述べ、税理士への手数料六〇万円、同和会への謝礼金三〇〇万円を支払うよう要求し、駒井から二回に分けて右合計三六〇万円の支払いを受け、一五〇万円を残し、その余を本部に渡したこと(駒井の右税金額は他の相続人の分を含み、支払猶予が認められたため、最初の支払分である。)

6  被告人は、検察官に対する昭和六〇年八月一四日付供述調書において、長谷部に対し駒井の税金は同盟が税務対策の際正規の税額の三割五分をカンパとして取っているので、それ以下ですむように申告してくれと頼んでいたので、そうしてくれたものと思っていたと供述し、更に同昭和六〇年七月二四日付供述調書(一七枚綴り)において、「納税義務者に対し解同に頼めば正規税額の三五パーセントを取られるが、同和会の場合は一割位になるように税金の申告をしてやるという話をしたことはないか」との問いに対し「解同の場合は正規税額の三五パーセントのカンパを取るということを説明したことはあるが、同和会の場合正規税額の一割にしてやるという話をしたことはない。これは長谷部に頼んで申告してもらっても、零申告になるか、正規税額の一割位になるか結果をみないと分からないからです」と答えており、このことは納税額零の場合もあることを前提にしているとともに税率がかなり恣意的であることの認識を示しているものといえること

7  一方、被告人は、かねてから知り合いの司法書士松本善雄(以下「松本」という。)に対し、同和会で税務対策を行っているので、税務対策をして欲しい人があれば紹介して欲しい旨述べた上、長谷部及び渡守を松本司法書士事務所に同行して松本に紹介し、長谷部は同所において松本に対し、同和会の税務対策について説明し、税務対策を希望する納税者を集めるべく協力を求めてその了承を得た。原判示第二の一、二の近藤傳次郎、中村春造は鐘紡不動産株式会社(以下「鐘紡不動産」という。)に土地を売却し、その所得税を負担してくれるように鐘紡不動産側に求め、これを受けた鐘紡不動産側が同和会に税務対策を求めたもので、松本から紹介されたものであり、原判示第三の木村喜久治も松本から紹介されたものである。なお、松本は紹介者として高額の分配金を得る約束であったこと及び近藤、中村、木村が同和地区以外の者であることを、被告人は熟知していたこと

8  以上の事実が認められるところ、これらの事実、とりわけ被告人は、同和会が納税申告を代行する場合、納税義務者から正規税額の四割以下(同和地区以外の者の場合、同和地区の者の場合は更に低率)の金額をカンパ金等として徴収し、その中から本部や支部の運営資金及び紹介者への分配金を差し引いて税金を支払うものであること、申告税額は正規税額の一割になるか零になるか分からないとする前記検察官に対する供述のとおり恣意的であるとともに極端に定額であること、右申告に際しては申告税額に見合うよう書類上つじつまを合わせる操作をしていることを事前に十分認識していたことなどに徴すると、本件各納税申告行為は、同和会を介してするものであったとしても、書類上つじつまを合わせて仮装債務を計上するなどの何らかの不正な手段方法によって減免措置が講じられていたことを認識していたというべきであって、被告人においてこれが適法になし得るものと思っていたとは到底認められず、被告人に不正の行為により税を免れるとの認識すなわちほ脱の犯意及び違法性の認識があったといわなければならない。

五  所論は、原判決は、その(補足説明)一において、被告人が、原判示第一に関し、駒井の相続税ほ脱が仮装債務を計上して行うものであると知っていたことを直接明らかにする証拠はないとした上で、長谷部から納税義務者の紹介を依頼されたときの文言や状況証拠により被告人がこれを知っていたと認定し、(補足説明)二において、原判示第二の一、二、第三については原判示第一の後であることや納税義務者が同和地区住民ではないことその他の状況証拠から被告人がこれを知っていたことは明らかであると説示した点を論難するので付言すると、原判決が原判示第一につき、仮装債務計上の認識に関する説示(1)ないし(8)のうち、(1)の昭和五六年一〇月一九日ころ、松本司法書士事務所において、長谷部が松本に対してなした仮装債務を計上して税務対策を行う旨の説明、松本の違法ではないかとの指摘その他の問答の際、被告人も同席して当然聞知していると説示する点は、当審における事実取調べの結果をも考慮すると、同日ころの長谷部の説明は納税者に正規税額の半分を負担してもらい、そのうちから税金を納め、残りをカンパ金等とするまでであって、これに対し松本から脱税でないかとの疑問が発せられたことは認められるが、その際仮装債務を計上することまでの説明があったとは認めがたく、その余の(2)ないし(7)の事実を総合しても右の認識があったと認定するには十分ではなく、原判決には右認識の点において事実の誤認がある。次に原判示第二の一、二、第三についても原判決が原判示第一についての認識を前提として仮装債務計上の認識を認めた点において事実の誤認がある。そして、右三件に関し被告人の犯意ないし違法性の認識について原判決が説示する諸点のうち、被告人は自己が経営する辰己工営が税金の申告に際し同和会の税務対策によらなかったのは、同和会の税務対策が不適法であると認識していたことを推認させるとした点は、所論指摘のとおり辰己工営は京都府、京都市等官庁の指定業者となっており、指定業者であるためには相応の納税をしていることが条件であるため、同和会の税務対策によらず納税申告したと認めるのが相当であるから、原判決の右認定には賛同しがたい。しかしながら、既に述べたとおり、被告人には長谷部らの行っていた納税申告は何らかの不正の手段方法によりなされていたことの認識があったものと認められるから、右原判決の(補足説明)中の前記各事実誤認や原判示第二の一、二、第三についての説示中の一部に賛同できない点があることを考慮に入れても、これら誤りは判決に影響を及ぼすものとはいえない。

法令適用の誤り及び事実誤認の論旨は理由がない。

第二量刑不当の主張について

論旨は、被告人を懲役一年及び罰金五〇〇万円に処した原判決の量刑不当を主張し、被告人に対し懲役刑の執行を猶予するのが相当である、というのである。

所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも合わせて検討するのに、本件は、同和会副会長(兼辰己支部長)である被告人が、会長鈴木、事務局長長谷部、各納税義務者や司法書士であった松本らと共謀して、昭和五七年六月から昭和五九年一〇月まで四回にわたり仮装債務を計上するなどして内容虚偽の納税申告をし、もって不正の行為により所得税又は相続税を免れさせた組織的なほ脱事犯であり、そのほ脱額は合計約二億一六三〇万円に達し、ほ脱率も約八六パーセントと高率であり、被告人らが本件四件の犯行により同和会に対するカンパ金等名下に受け取った金員は約一億一三〇〇万円に上り、被告人はこのうち二七九〇万円を受領してその大部分を被告人個人の預金口座に入金しており、特に判示第二の一、二、第三の犯行については、松本に納税者の紹介を依頼し、同人に高額の紹介手数料を支払ってまで同和地区以外の人についても税務対策を行っていたこと等に照らすと、被告人らは現実には、右三件の犯行についてはカンパ金等を取得するためにした悪質な犯行といわざるを得ず、本件犯行が申告納税制度の根幹を揺るがす重大な犯行で、一般の誠実な納税義務者らに対して与えた影響も看過できず、被告人の刑事責任は重いといわざるを得ないことは原判決説示のとおりである。

しかしながら、本件のような「税務対策」は鈴木、長谷部、渡守らが発案したもので、被告人はその後長谷部らに勧められて同和会に加入して辰己支部長、次いで副会長となり、長谷部から税務対策を希望する納税義務者の紹介を依頼されたが、当時税務対策の具体的内容までは知らされていなかったこと、本件各犯行を主導し、直接内容虚偽の申告書等の作成及び申告手続を行ったのは長谷部であり、被告人が長谷部と同道する場合も長谷部が主役であり、その他の場面では被告人は長谷部に指示されて納税義務者に必要書類を整えるように伝え又は長谷部から預かった書類を納税義務者に届けるなど使い走り的に行動した部分が多いこと、原判示第二の一、二、第三の犯行については、被告人が松本に依頼したとはいえ、松本もカンパ金等の分配に預かりたいために納税義務者を捜して折衝し、被告人が納税義務者に働きかける場面は少なかったこと、被告人が取得した金員は、長谷部が提案した本部と支部が折半する約束に基づくものであること、本件各犯行の背景には、税法の適性公平な執行にあたるべき重責を担う税務当局が、同和関係組織の威圧的な態度に押し切られ、同和産業名義の領収書等内容虚偽の証憑書類が頻繁に利用されていたのに税務調査もせず、結果的には、不正な納税申告を助長する事態をも招いたという特殊な事情が存在しており、主体性を欠いた税務当局の姿勢も厳しく非難されるべきであって、本件脱税の責任について、被告人らのみを一方的に非難するのは相当でないこと、本件の発覚に伴い納税義務者に対して正当な税額を完納せしめる行政的措置が講じられ、さいわい税法上の実害はそれなりに回復されていると窺われること、被告人が本件犯行を反省し、駒井に五〇万円、近藤に四六五万円、中村に一一七五万円、木村に一〇〇〇万円をそれぞれ返還したほか起訴されなかった辰己支部扱い分五名についても合計一二四二万円を返還し、その殆どの者からいずれも嘆願書が提出されていること、被告人には古い罰金前科一犯のほかには前科がないことなどの事情を考慮すると、原判決の量刑は、懲役刑の実刑を言い渡した点において酷に失し、被告人に対しては懲役刑の執行を猶予するのが相当であると思料される。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により、原判決を破棄し、同方四〇〇条但書により更に判決することとする。

原判決が認定した罪となるべき事実に原判決挙示の各法条を適用するほか懲役刑の執行猶予につき刑法二五条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 重富純和 裁判官 川上美明 裁判官 出田孝一)

○ 控訴趣意書

一、被告人 村井英雄

一、事件名 所得税法違反等

一、事件番号 昭和六三年(う)第四八七号

一、控訴趣意 左記の通り。

昭和六三年八月四日

右弁護人 三浦正毅

同 湖海信成

同 坂和優

大阪高等裁判所第二刑事部 御中

第一、はじめに

原判決には、以下に述べるとおり判決に影響を及ぼすべき法令適用の誤り、事実誤認、訴訟手続の法令違反および量刑不当があるので当審において破棄されなければならない。

以下順次その具体的理由を述べる。

第二、事実誤認・法令適用の誤り・訴訟手続の法令違反

一、同和地区住民のなす税務対策に基づく税申告の適法性・構成要件非該当・正当性に関する事実誤認・法令適用の誤り--同和対策事業特別措置法・国税庁長官通達について

1、原判決の説示

原判決は、租税法律主義につき、「税の減免・控除については法律上の根拠が必要である」としながら、同和対策事業特別措置法および国税庁長官通達について次のような理由で同和地区住民に対する税の減免措置としての法的根拠を否定した。

〈1〉 同和対策事業特別措置法一条(目的)と減税とは直接関係はなく、六条(同和対策事業)、他の条文をみても、同法に同和地区住民に対する税の軽減を要請していると解することのできるものはない(一九丁)。

〈2〉 官総二-六昭和四五年二月一〇日付「同和問題について」と題する国税庁長官通達第二項は、「同和地区納税者が社会的に言われなき差別を受け、経済的に劣位に置かれ勝ちな実情に鑑み、所得の把握等に際しては安易に一般的な基準に頼ることなく、右のような事情も十分考慮し適切な課税をすることを要請したものであることは文理上明白であって」、減税規定ではない(一九丁裏~二〇丁表)。

2、同和対策事業特別措置法に関する事実誤認・法令適用の誤り

右原判決説示〈1〉の点は、(一)同和地区住民におかれた状況・実態を全く無視し、したがって(二)右対象者のために制定された同和対策事業特別措置法(以下「特措法」という)にかかげる事業を極めて限定的に解し、よって特措法の明文にも反し、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認および法令適用の誤りをおかしたものである。

(一) 同和地区住民のおかれた状況

たとえば、一例として低利の住宅新築資金によって家を新築したばあいに、「住宅資金は低利であっても給付されたのではなくて貸付金であるから返却しなければならない借金なのである。部落の産業基盤は、強くはないから私たちの予想以上に返済は重荷になるはずなのである。」(『講座差別と人権』二、部落Ⅱ、一三九頁、また被告人一七回一八丁裏~二一丁まで同旨の供述)。

このように、差別の中におかれた同和地区住民は、一面的な行政施策では不十分であり、右の例でみれば低利貸付に加えて産業基盤に対する積極(補助金)・消極(税の軽減措置)の方法による「総合的」かつ「全般的」な観点と施策が不可欠であることは明白である。

(二) 特措法六条は同和事業については例示列挙であり、かつ行政施策の「全般性」「総合性」を規定する。

特措法六条は、国の施策として、「国は、第一条の目的を達成するため、次の各号に掲げる事項について、その政策全般にわたり、必要な施策を総合的に講じなければならない。」(傍点引用者)とし、七号にわたり各事業を列挙した上で、八号において「前各号に掲げるもののほか、前条の目標(同和対策事業の目標-引用者)を達成するために必要な措置を講ずること。」とし、文理上の明らかに国の施策の総合性・全般性を規定し、七号にわたる各事業の他同和地区住民の実態に即した適切な対応ができるように目標達成のための必要な措置事業のできることを明らかに規定している。

(三) 特措法は同和地区住民の税の軽減根拠規定となりうる。

(1) 租税法律主義の観点からすれば、

「租税立法についていえば、課税要件および租税の賦課・徴収に関する定めを政令・省令等に委任することは許されると解すべきであるが、課税要件法定主義の趣旨からして、それは具体的・個別的委任に限られ、一般的・白紙的委任に許されないと解すべきであろう。この点で問題となるのは、具体的・個別的委任と一般的・白紙的委任との区別の基準であるが、具体的・個別的委任というるためには、委任の目的・内容および程度が委任する法律自体の中で明確にされていなけれはならないと解すべきである。」)(金子宏・『租税法』七二頁、傍点引用者)

とされている。

特措法六条八号は、国の施策として「前各号に掲げるもののほか、前条の目標を達成するために必要な措置を講ずること」が義務づけられ、これをうけた同法五条(同和対策事業の目標)において、「同和対策事業の目標は、対象地域における生活環境の改善、社会福祉の増進、産業の振興、職業の安定、教育の充実、人権擁護活動の強化等を図ることによって(目的・内容、傍点-引用者)、対象地域の住民の社会的経済的地位の向上を不当にはばむ諸要因を解消することにある(程度-引用者)」とされ、その目的・内容・程度は特措法の中で明確に特定されている。

(2) さらに税の軽減措置は個人給付事業の消極的方法であることから、これの表としての積極的方法による補助金交付の観点からも検討されねばならない。

「補助金の場合であるが、少なくともすべての税に共通する理解は、財政民主主義の原則から、予算による議会の授権が必要だということである。しかし、予算の法的性質は、基本的にはやはり、国家の収入・支出の単なる見積りであるから、さらに公行政の授権規範として法律を必要としよう。そのさい、真に財政民主主義を貫徹するとしたら、組織法としての運用機関設立法ばかりでなく、作用法をも必要としよう。……ただし、作用法が必要であるといっても、その授権のあり方は、概括的な規定にとどまらざるをえない場合もあろう(例、他自二三二条の二)。」(『演習行政法上』六七頁、傍点引用者)

と指摘されている通り、ある程度概括的規定でも補助金交付は許されると解されている。

(3) 右(1)、(2)のいずれの観点からしても特措法六条等によって、同和地区住民の税の軽減措置が法的根拠をもつものとして認められるべきは明らかである。

(四) 地方自治体における具現化

特措法八条は、「地方公共団体は、国の施策に準じて必要な措置を講ずるように努めなければならない。」とし、地方自治体が同法に例示列挙された国の事業実施に「準ず」べきことを指示している。

その結果、例えば栃木県におていは、次の通り三三にのぼる個人給付的事業が具現化され、就中31、32の地方税の軽減措置が同和事業の一環として認められており、同様の措置は全国各自治体に及んでいるのである。

1 地方改善対策(同和対策)小、中学校児童生徒入学支度金補助事業(県単) (教育委員会)

2 地域改善対策高等学校等進学奨励費交付事業(国庫、県単) (教育委員会)

3 地域改善対策(同和対策)農業近代化資金融通対策事業(県単) (農業経済課)

4 農村漁業金融公庫資金金融対策事業(県単) (農業経済課)

5 地域改善対策(同和対策)資金融通対策費(県単) (農業経済課)

6 地域改善対策対象地域巡回相談事業(国庫委託) (経営指導課)

7 地域改善対策(同和対策)経営講習会事業(県単) (経営指導課)

8 構造改善等高度化資金貸付事業(国庫) (中小企業課)

9 地域改善対策(同和対策)中小企業振興資金貸付事業(県単) (中小企業課)

10 職業適応訓練事業(国庫委託) (職業安定課)

11 職業訓練委託事業(自動車運転訓練事業)(国庫) (職業訓練課)

12 地域改善対策受講奨励金支給事業(国庫) (職業訓練課)

13 職業訓練事業(訓練手当)(国庫) (職業訓練課)

14 地域改善対策(同和対策)被保護世帯援護事業(県単) (厚生課)

15 地域改善対策(同和対策)国民健康保険助成事業(県単) (国民健康保険課)

16 地域改善対策(同和対策)福祉資金貸付事業(県単) (同和対策課)

17 地域改善対策(同和対策)技能習得奨励事業(県単) (同和対策課)

18 調理師試験準備講習会事業(県単) (環境衛生課)

19 地域改善対策(同和対策)保育所入所支度金等補助事業(県単) (児童家庭課)

20 地域改善対策(同和対策)幼稚園入園支度金補助事業(県単) (文書学事課)

21 地域改善対策(同和対策)分娩費等補助事業(県単) (同和対策課)

22 飲食店営業等巡回指導事業(県単) (環境衛生課)

23 地域改善対策(同和対策)乳幼児栄養強化補助事業(県単) (保健予防課)

24 地域改善対策巡回保健相談指導事業(国庫) (医務課)

25 地域改善対策(同和対策)地域訪問指導事業(県単) (医務課)

26 地域改善対策(同和対策)成人病予防補助事業(県単) (保健予防課)

27 地域改善対策妊婦健康診査事業(国庫、県単) (保健予防課)

28 地域改善対策(同和対策)公害防止施策等整備資金貸付事業(県単) (公害対策課)

29 産業廃棄物対策費(県単) (環境整備課)

30 排水処理施設維持管理費補助事業(県単) (公害防止課)

31 不動産取得税の特別措置事業(県単) (税務課)

32 自動車税の特別措置事業(県単) (税務課)

33 住宅新築資金等貸付事業(国庫・県単) (住宅課)

(『講座差別と人権』二、部落Ⅱ、一五一~三頁、傍点引用者)

因みに、右例は自治体が独自の事業を多数行っているのに反し、国の施策がいかに遅れているか如実に物語っている。

3、昭和四五年二月一〇日付国税庁長官通達に関する事実誤認・法令適用の誤り

前記原判決説示〈2〉の点は、国税庁長官通達第二項につき、第一に原判決説示の前後関係において論理矛盾を来たしており、第二に皮相かつ抽象的な解釈、理解にとどまり、具体的な税申告の適用場面を全く理解せず、また全く無視したもので、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認・法令適用の誤りがある。

(一) まず、原判決は、同項の解釈につき「経済的に劣位に置かれ勝ちな実情に鑑み、所得の把握等に際しては安易に一般的な基準に頼ることなく」とするが、同判決のいう安易な「一般的基準」とは次の通りである。

所得税の課税標準の計算と税額の算出についての基本的な仕組みは、(1)総所得金額・退職所得金額・山林所得金額から各種控除((1)基礎控除・配偶者控除、扶養控除、(2)障害者控除・老年者控除・寡婦控除・勤労学生控除・(3)雑損控除・医療費控除・(4)社会保険料控除・小規模企業共済等掛金控除・生命保険料控除・損害保険料控除、(5)寄付金控除)の残額が課税標準額となり、これに税率表を適用して算出した額に、さらに所定の税額控除を行った残額が最終的所得税額となる(金子宏・『租税法』一五四~七頁)。

これを見れば、「一般的基準」は社会的弱者等の立場を考慮し相当細かい控除を設けているのであって、それ自体決して「安易」なものではない。

(二) 次に、同判決は「右のような事情(言われない差別・経済的劣位-引用者)も十分考慮し適切な課税をすることを要請したものであることは文理上明白」(傍点引用者)であるとするが、(イ)被差別・経済的劣位であること、(ロ)安易に課税の一般基準によってはならないこと、(ハ)「適切な課税」をなすこと、(二)減税を規定したものではないことの四点につき、前後相矛盾している。

即ち、一般基準によらないとすれば、当然「特別の基準」が想定され、適用されるはずであり、それはまさに経済的劣位にある同和地区住民に特別の基準としての「減税」措置を意味することに他ならないからである。

(三) さらに税申告の実務において「同和地区住民」につき「一人一人」「適切な課税」をなすことは事実上不可能であり、また明文化も不可能である。

(1) 即ち、国税庁長官通達第二項にいう「実情に即した課税を行なうよう配意する」とは、「同和地区におきましては他の一般の方と違う点がある。たとえば、税の面から見ますと、一般の納税者とは異なります不利な借入れ条件というものがございます。あるいは通常の場合でも、いろいろな事業をする場合に、高いあっせんの手数料というようなものを払う必要、そういうことがございます。あるいは譲渡関係につきましても、所得税と同様な、たとえば立地条件が非常に悪い、それから土地等の売却条件が非常によくない、あるいは譲渡いたしました場合に特殊な立ち退き料がたくさん要る、こういうような実情は事実あるようでございます。そういうものは経費として私どもは実情に即して認める」(弁五号証、昭五〇・二・一三予算委員会議事録、九頁一~二段、安川国税庁長官発言、傍点引用者)趣旨ととれるが、右事情は一般納税者の場合も「経費」とされなければならないはずである。

とすると一般納税者との対比において、不利な借入条件、例えば、高利での借入金のばあい、開業資金か住宅資金か結婚資金かの目的によって異なるのか、また利息制限法を超えた部分が「経費」となるのか、あるいは銀行預金並の利息を超える部分か、さらに高利全部か、「税務署の所得税の職員は、一万人で八〇〇万件の処理をする」(同五〇・二・二七議事録三六頁一段、横井国税庁直税部長)実務の中で、いかなる場合にどの程度「経費率」が認められるか逐一見極めることは不可能といってよい。つまり一般的な趣旨説明はできても具体的実施は不可能であり、また明文の細文化も不可能である。そのことは当然「実情に即した課税」とはいいながら、同和地区納税者であるが故に「経費」というような一般的、抽象的形式において一律に課税処理がなされることを意味していることを行間に物語っているのである。

(2) また、右扱いの前提となる「同和地区納税者」の認定にあたっても、「私たちの方から積極的に同和地区関係者であるかといったような調査をするということはやるべきではございませんし、またそういった調査をすることは好ましくないと思います」(同、五〇・三・一二議事録二三頁二段、磯辺国税庁次長)、あるいは元大阪国税局同和対策室係長糸田証人も「『同和地区納税者』というのは、一応、同和団体からうちの会員さんであると言う方を同和団(まま)体と認識しております」(糸田三二回一二丁裏)「『同和地区納税者』という言い方をしておりましたので、後は確認は取ってないように思いますね」(同三二回一四丁表)と述べているとおり、国税当局は同和団体を通じて会員として申告するものを「一律に」「同和地区納税者」とするものであり、それ以上の調査を行なわないのである。これは同通達第一項の趣旨とも合致する。けだし、もし税務職員が逐一納税者を同和地区納税者か否かにつき調査するとすれば、由々しき人権問題となること必至であり、また逐一不信の目をもって「経費」の内容を問うことは事実上不可能であることは勿論「同和問題に関する認識を深め」るとの文言に背反することにもなるからである。この間の問題状況は近時の文献にも明らかに指摘されている。

部落住民であることを差別の現状下で隠そうとする部落住民の姿を、解放運動を勧めている側から批判することは当然のこととしても、一般国民がそれにコメントすることは越権行為であろう。しかし、一般地区との格差をなくすため個人給付的事業の受給者たらんとする場合には(税の減免措置をうけようとするばあいも消極的方法による給付であり同じ理である-引用者)、部落住民であることを名乗り、誰かにそれを認定してもらわなければならない。認定は主として運動団体が行なっているが、「窓口一本化」をもたらす運動団体の対立やその際に行政の主体性が守られない場合もある。同和行政の混乱の原因は、このあいまいな状況にあり、根本的な対応策はないと思う。関係者の理性や常識に期待するのみである。行政があまりに積極的に部落住民を掘り起こすならば差別の拡大につながらないとも限らないし、出生地を離れた部落住民をそれを認定することに誤りは生じないとは言いにくいのである(『講座差別と人権』二、部落Ⅱ、一四九~一五〇頁)。

(3) ここから同通達の解決運用は次の二点に帰結される。

(イ) 同和地区納税者であるか否かの調査はしない反面、同和地区納税者であることが一見して明らかに判定できるようにしておくこと。そのためには一定の団体に窓口を一本化し一括申請とし、国税当局も便宜上窓口一本化をはかり一般納税者とは異なる申告手続きを認めること。

(ロ) 「実情に即した」とは「経費」というような一定の形式に統一し税務当局にも一見して同和地区納税者の申告であることが判別できるような形式にしておき、その内容は逐一問うことなく一律に認めること。

ここにおいて、まさに同和地区住民に対しては「特別の基準」による租税の軽減措置、いわば同和控除が明文をもって認められたのである。

(四) このような同和行政の実態をふまえた奥行と幅をもつ立体的構造の国税庁長官通達につき、原判決は文言の表面のみ上すべりし、同和行政の実態の理解をもたなかったが故に皮相かつ抽象的にしか解しえなかったもので、その誤りは明白である。

4、まとめ

同和地区住民の納税対策にもとづく税申告とこれに対する特別の租税軽減措置は、特措法・国税庁長官通達によって認められ、これに法的根拠をおく適法・正当な行為であることは明白であるにも拘らず、原判決はその前提たる特措法・国税庁長官通達の解釈を誤り、もって本件駒井関係の税申告の適法性・正当性の事実を誤認し相続税法違反罪適用の誤りをおかしたものであり、判決に影響を及ぼすこと明らかである。

二、同和地区住民のなす税務対策に基づく税申告の適法性・構成要件非該当・正当性に関する事実誤認・法令適用の誤り--解放同盟と大阪国税局との確認事項について

1、原判決の説示

原判決は、同和会と大阪国税局、上京税務署との合意・確認の前提となる昭和四三年一月の部落解放同盟中央本部・大阪府企業連合会と大阪国税局長との七項目にわたる基本的な確認事項につき、

〈1〉 同二項は同和控除を法律が制定されるまで局長通達で実施するのは租税法律主義に反し、「できないことであ」るとし、

〈2〉 同三項は、国税局が大阪府企業連合会を通じてなす自主申告の審査権を放棄することが「許されるのか疑わしい」とし、

〈3〉 七項は、現在・昭和四九年二月一四日・同五五年一二月時において国税通則法一〇二条一項の明文に反しできないことが明らかであり、「同四三年一月当時も同様、制度上不可能であったと思われる」とし、右三点から、「確認事項」とは「単に要望事項をまとめたものに過ぎない蓋然性が高い」と説示した。

2、原判決の論理の誤りと判断遭脱

原判決には、右説示三点に共通して(一)法的効果、効力の問題と法的事実の存否の問題とを混同し、(二)また国家機関が法律に違反することはないとの誤った前提に立っており、さらに(三)経験則に関する判断を遺脱し、加えて(四)各説示においても「推測」にわたる独断が甚々しく事実に反し、いずれも重大な誤りをおかしている。

(一) 効果と事実の混同

原判決は、前記説示三点において法律に反する(この点の誤りは後に述べる)から、法的効果、効力は生じない、従って前記確認事実はありえないと断定する。

しかし、右論理には効果と事実との甚々しい混同がある。

即ち、仮に法的には無効であっても、その法的効果の前提となる法律事実、行為が存在しないということは到底言えない。

因みに、金子教授は、「法律の根拠に基づくことなしに、租税の減免や徴収の猶予を行なうことは許されないし、また納税義務の内容や徴収の時期・方法等について租税行政庁と納税義務者との間で和解なり協定なりをすることは許されない。このような減免や徴収猶予は違法であり、またこのような和解や協定は無効であって拘束力をもたない、と解される(最判昭四九・九・二民集二八・六・一〇三三頁)。もっとも、現実の租税行政においては、当事者の便宜や能率的な課税等のために、たとえば収入金額なり必要経費の金額なりについて和解に類似する現象が見られないではない」と和解類似事実を認めた上で、税法的法解釈としては、「これは、法的に見るかぎりは、両当事者の合意になんらかの法的効果が結びついたというのではなく、納税義務者と租税行政庁との話し合いの結果が、租税行政庁による課税要件事実の認定に反映したものと理解すべきであろう。」(いずれも金子宏・『租税法』七五~七六頁、傍点引用者)としているにすぎない。この意味で、和解類似事実は、実務上も厳守し、しかも原判決のいう「単に要望事項をまとめたものにすぎない」という性格のものでは決してなく、租税行政庁にも反映したものなのであって、これは後にも見る通りである。

従って、原判決は、効果と事実とを混同した明白な法解釈の誤りをおかしている。

(二) 国家機関行為の無謬性の誤り

原判決説示の右三点について、その前提には、国家機関が租税法律主義、国税通則法の明文に反する(この点については後述する)ことはありえないとする、国家機関行為の無謬性の思考が根強く残っている。

しかし、右論理は国家絶対主義の立場をとるのであれば格別、民主主義を基本原則の一つとし、その一七条では公務員の不法行為による国・公共団体の賠償責任の原則を高らかにうたい、これにもとづき国家賠償法が制定されている現行憲法体制下においては全く容れることのできない論理であり、その誤謬は明白である。

(三) 原判決の判断遺脱その一

また原判決の前記説示三点に共通する前提として、「国家機関は特段の事情のない限り既存の法令に抵触する行為をなすことはありえない」との経験則を用い、本件についてはこの『特段の事情』が認められないから、確認事項なしとの結論を導いたとも考えられる。

しかし、右経験則については一応肯定するにしても、原判決は本件での『特段の事情』につき全く判断せず右経験則の原則論のみを適用したことに同和問題の深い理解を全く欠いた重大な誤りがある。

(1) 同対審答申による政府の作為義務・法価値の変更

昭和四〇年八月一一日、去る昭和三六年一二月の内閣総理大臣の諮問に基づき「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」を審議した結果が、所謂同対審答申として内閣総理大臣に提出された。

同答申の「前文」には、「同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題でもある。したがって、審議会はこれを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題であるとの認識に立って対策の探求に努力した。……問題の解決は焦眉の急を要するものであり、いたずらに日を重ねることは許されない状態にあるので、以下の結論をもってその諮問に答えることとした。……政府においては、本答申の報告を尊重し、有効適切な施策を実施して、問題を抜本的に解決し、恥ずべき社会悪を払拭して、あるべからざる差別の長き歴史の終止符が一日もすみやかに実現されるよう万全の処置をとられることを要望し期待するものである。」(弁二号証、一~二頁、傍点引用者)として、政府の速やかな答申実施が義務づけられ、憲法体系下での実質的な法価値の変更が生じたのである。

而して同答申における税務対策関連条項は次の通りである。即ち、同答申「結語」にある「〈3〉地方公共団体における各種同和対策の水準の統一をはかり、またその積極的推進を確保するためには、国は、地方公共団体に対し同和対策事業の実施を義務付けるとともに、それに対する国の財政的助成措置を強化すること。この場合、その補助対策対象を拡大し、補助率を高率にし、補助額の実施的単価を定めることなどについて、他の一般事業補助に比し、実情を配慮した特段の措置を講ずること。」「〈5〉同和地区内における各種企業の育成をはかるために、それらに対する特別の融資等の措置について配慮を加えること。」(弁二号証、三三頁、傍点引用者)の二点である。

(2) 政府の作為義務違反による違法状態

政府は自ら諮問し、その答申を受けて自らその「結語」六項目にわたる速やかな作為義務を負ったにも拘らず、昭和四三年一月段階では全く右作為義務を怠っていた。この意味で、昭和四三年一月当時においては、同和地区住民に対し、政府の不作為による違法状態、いわば「急迫不正の侵害」(正当防衛の前提条件)が生じていたといって過言ではない。

因みに、昭和四〇年内閣に設置された同和問題閣僚協議会は佐藤内閣が退陣する直前の四七年六月まで一度も開催されなかったのである(弁一号証、三八三頁)。

(3) 解放同盟による同対審答申の完全実施要求

これに対し、解放同盟では、答申の完全実施を求めてその具体化の第一歩となる特別措置法制定を運動のひとつの重点項目にかかげ、四二年には同盟独自の「特別措置法草案」を発表して世論に訴え、政府と国会に対する要請と請願行動を繰り返した(弁一号証、三八三頁)。

この要求と運動は、いわば同和地区住民の政府の違法に対する権利擁護のための正当防衛行為と評しうる行動であった。

(4) まとめ

以上の歴史的事実経過により、一方政府は、自ら欲した同対審答申に基づき速やかに同答申実施、万全の処置をとるべく作為義務が課せられた。これによって同和対策事業は、形式的には既存法令と牴解するようにみえても実質的には憲法下での他の諸法の価値変更を迫ったのであり、その結果既存法令の解釈の変更に至るは当然である。他方それにも拘らず、政府は右実施を怠る違法状態を継続したため、解放同盟など同和地区住民によりこれを是正するためのいわば正当防衛としての要求・運動を受けなければならなかったのである。

このように法価値の変更、しかも緊急性・正当性という『特段の事情』のもとで前記昭和四三年一月の確認事項が合致されたのであって、原判決はこの点の判断を遺脱し同和問題を全く欠落させており、極めて重大な誤りがある。

(四) 原判決の各説示の誤り

(1) 前記説示〈1〉につき、昭和四四年七月特措法が公布され、それ以降原判決のいう租税法律主義の問題は全く解消したことは、前述した通りであり、通達によるとされるのは四三年一月三一日以降翌四四年六月三〇日までの短期間であって、これは右にみた答申による法価値変更、緊急性・正当性のある『特段の事情』によって許容されるのであり、実質的観点からして租税法律主義に牴解するものではない。

この意味で原判決には同対審答申に対する深い洞察を欠き、解放同盟と大阪国税局との確認事項は、政府の不作為の違法を是正するための確認事項であるとの『特段の事情』の存在及びその認定を欠いた明白な誤りがある。

(2) 次に前記説示〈2〉につき、原判決のいう「審査権の全面放棄」とは、まさに前述した通りいわば同和控除としての租税軽減措置であって、昭和四五年二月国税庁長官通達第二項によって追認された通りの内容であり、何ら疑念は存しない。むしろ「同和地区住民」か否かの詮索をすれば人権侵害のおそれがあり、また逐一経費項目等を問うことは事実上・条文上不可能である。この点を充分踏まえた奥行のある確認事項であり、同和問題及び納税実務を正解しない原判決の判断の誤りは明らかである。

(3) さらに前記説示〈3〉につき、原判決は、「現在はもちろん同四九年二月一四日及び同五五年一二月当時も国税通則法一〇二条項の明文に反しできない事が明らかであり、同四三年一月当時も同様、制度上不可能であったと思われる」(傍点引用者)とするが、これは他の項でも指摘するように原判決に通底する「推測」にわたる独断であるばかりか、別紙添付の岩波六法全書に見られる通り事実にも反する。事案解明のための法令調査を怠った原審の職務怠慢の違法は明白である。

即ち、昭和四三年当時の協議団に関する国税通則法八三条では、「国税庁長官又は国税局長は、国税に関する法律の規定に基づく処分に対する不服申立てについて決定又は裁決をする場合には、国税庁又は当該国税局に附置された協議団の議決に基づいてこれをしなければならない」(傍点引用者)とあるのみで、協議団本部長の決定なるものが法律上明定されておらず、その効力がいかなるものかも規定されておらず、現行の一〇二条とは全く体制を異にする。従って確認事項七項が制度上不可能と断定することには大きな誤りが存する。

(五) まとめ

以上、いずれの点からみても原判決説示〈1〉、〈2〉、〈3〉およびその結論の誤りは明らかであり、法解釈・経験則・事実誤認の違法がある。

3、昭和四三年確認事実の状況証拠--原判決の判断遺脱その二

右確認に対する大阪国税局長署名の文書は存在しない。しかし契約自由の原則からすれば口頭による合意によっても契約は充分成立する。しかも解放同盟は右確認事項七項目を同機関紙等に掲載し、これを公表している。

(一) これに対し、大阪国税局ないし国税庁は右会談がなされた事実をみとめた上で、「まず最初に、国税庁なり国税局の方から、それは(確認事項-引用者)違うということを言うかどうかということでございますけれども、私たちは、いまそれを言う考えはございません。」(弁五号証、五〇・三・一二議事録二六頁二段、磯辺国税庁次長)とし、内容虚偽の文書として名誉毀損等の刑事・民事上の措置をとらないことを明らかにした。

(二) 次に昭和五〇年の時点でそれ以前に「同和控除」との名称の費目があったことを認めた。すなわち「相当以前のことでございますけれども、納税者の方から、同和控除という名前をつけまして、そういうような申告書が出た場合もあるやに聞いております。」(同、五〇・二・一三議事録九頁二段、安川国税庁長官)と明言している。

(三) 同五〇年に近い段階では一般の申告書と異なる形で大企連関係者に対して同様の控除があったり、申告書が全面的に認められている。

(1) 即ち、同和控除は、事業所得の三〇%を一律控除ということで申告書に記載し、税務署がこれを認めるというものであるが(同、五〇・二・二七議事録三五頁三段)、昭和四八年度法人税申告で、「当期利益」または「当期欠損の額」三七三二万円を減加算した後、さらに三〇%減算するように数字が記載されている例(前同、三六頁二段)

(2) 東京都世田谷区の住宅地域で建設省公示価格では一四〇〇万円の土地につき、譲渡税価格の総額二〇〇万円、取得価格、設備費、改良費計一七五万円、特別控除額一七万五〇〇〇円で結局譲渡所得ゼロの例(前同、三六頁四段~三七頁一段)。

(3) 昭和四九年度の二三二九万円の土地売却に伴う譲渡取得税修正申告の過程で、税務調査が開催され「要調査対象事案審理表」に「見込時価格」一〇〇〇万円以上、「選定理由」無申告、「無申告理由等」大企連、その後の処理として、局からの交渉で、四九年二月二七日、署長同行で資産税課〇〇〇に説明し、小額事案として処理相当を認むとされ所得ゼロの例(同、五〇・三・一二議事録二七頁二~三段)。

(4) 国税当局はいずれも右事実を認めている(前同、四段)。

(四) 大阪国税局をはじめ、一一国税局のうち大蔵省設置法等に基づかない同和対策室を置いているものが四局もある。即ち、「いわゆる同和対策室と言われております機構を持っておりますのが、国税局で申しますと東京国税局、大阪国税局、広島国税局、高松国税局、以上の四局でございます。」「私がいわゆると申し上げましたのは、これは大蔵省設置法等に基づいたものではないということ」(同、五〇・二・二七議事録三二頁一段、磯辺国税庁次長)を国税当局は認めている。

(五) 大企連は、国税通則法に定めのない大阪国税局に直接申告書を持込み、その数は一年度に三〇〇〇通にものぼり、同局もこれを受理している。即ち、「国税通則法二十一条では、申告書等は所轄の税務署へ提出するということになっております」(同、五〇・二・二七議事録三三頁三段・横井国税庁直税部長)、ところが大阪国税局関係で局へ直接もってくる大企連関係の申告書は「正確にいま手元に資料がございませんが、約三千通くらいかと存じます」(前同、四段)、「なお、御指摘のように大企連、東京でございますと東企連というふうなゴム印が押してあることが多いというふうに聞いております」(前同、四段)、そして組織的・意識的になぜ国税局へ直接持ち込むのかにつき「お約束したわけでもございませんし、押し切られたということでもないと存じておるわけでございますが、どういう理由かは存じませんけれども、局の方へお出しになるわけでございますので、先ほど申し上げたような扱い(所轄税務署へ移送-引用者)をしておるわけでございます」(前同、三四頁二段、傍点引用者)と全く説明にならない、答弁を国税当局はくりかえすのみである。

(六) まとめ

以上の状況証拠からすれば、四三年確認が存在し、これに則って大阪国税局において申告処理が大量かつ継続反復してなされてきたものであることが逆に明確に照射されるのである。

この点、原判決は、〈1〉「租税法律主義に反しできない」、〈2〉「審査権放棄は疑わしい」、〈3〉「国税通則法の明文に反し制度上不可能」であり、右確認は考え難いとするが、右有力な状況証拠の存在に一言も触れず強引な右説示をなしたことには重大な判断遺脱の違法がある。

4、国税当局の自認--原判決の判断遺脱その三

(一) 右四三年確認につき、国税当局は次のとおり答弁した(弁五号証、五〇・三・一二議事録二五頁四段)。

東中委員、そうすると、確認事項ではない、承ってその要望の趣旨を理解しただけだということで、この内容について国税庁はあるいは国税当局は、何ら拘束されるものではないというふうに聞いていいわけですね。

磯辺政府委員 法律的な意味においては拘束されるという義務は発生してないかと思いますけれども、しかしその実情を深く理解したということは、やはり心情的にはできるだけ御要望の線に沿ってやりたいという気持ちが出ておると思います。

東中委員 国税局という国家組織が、心情的に理解するというようなことはあり得ぬじゃないですか。国家機構でしょうが。国家機構が心情的にとは何ですか。…

(二) また同国税庁次長は、「まず最初に、国税庁なり国税局の方から、それは(確認事項-引用者)違うということを言うかどうかということでございますけれども、私たちは、いまそれを言う考えはございません。それはなぜかというふうに御質問でございますが、…やはり同和問題というのは非常にむずかしい問題をはらんでおります。しかもこの問題については、かつての同対審でも議論されたといったことがございまして、私たちはやはりいかにしてこの同和問題というものを税務行政の中で円滑に遂行していくかということを考えておるからであります。したがって、これは永久にそういった現在のような方策をとるという問題ではなくて、同和問題というものがすっかり解消になる。そして、あえて同和問題について特別な議論をしなくても済むようになるまでは、やはり経過的にやむを得ない措置ではないかというふうに考えておるからであります」(前同、二六頁二段、傍点引用者)として、右確認事項を否定せず、むしろ経過措置として肯認したのである。

(三) このように国税当局は国会答弁において四三年確認を自認したのであって、これに反する糸田証言は極めて公務員としての誠実さに欠ける証言でありその信用性は全くない。

而して、このような重大な自白事実を見過すごした原判決の判断遺脱の違法性は明白である。

5、結論

以上の通り、原判決は、法解釈、経験則に関する判断を誤りまた遺脱し、さらに確認事項を推認させる状況証拠、国税庁の自白事実の存在という決定的事実につき一顧だにせず、判断を遺脱した点で、本件駒井関係における同和地区住民の税務対策の適法性・構成要件非該当・正当性に関する重大な事実誤認をおかし、相続税法違反罪適用の誤りをおかしたものであって、判決に影響を及ぼすこと明らかである。

三、同和地区住民のなす税務対策に基づく税務申告の適法性、構成要件非該当・正当性に関する事実誤認――同和会における大阪国税局、上京税務署との確認について

1、同和会の本件税務申告は解放同盟、大企連と大阪国税局長との確認事項を前提とし、これにならったものである(長谷部証人の原審第二回公判調書中の証人尋問調書二九丁以下、渡守証人の原審第一五回公判調書中の証人尋問調書八丁以下)。そして、右確認事項は税務当局の署名等はないものの、その内容は税務当局により確認済みであった点については、二において詳述した。

2、昭和五五年一二月二日、同和会事務局長である長谷部や槍丸らは大阪国税局同和対策室において同室係長糸田武久らと面談し、次いで同月八日には右長谷部らは上京税務署署長室において署長島岡茂や総務課長河辺康雄らと面談したうえ、同和地区住民に関する納税についての減免要求をなしたことは争いのない事実である。

そして、その結果、右一二月八日付で「京都上京税務署長への要望と確認事項」と題する書面が同和会において作成されるに至っている(原審弁第四号証)。

前記長谷部や渡守の証言によれば、同和会としても税申告に関し解放同盟と同様な取扱いをするよう大阪国税局に対して要望し、基本的事項に関し、その了解を得たうえ、具体的な部分については所轄の筆頭税務署である上京税務署で協議するよう指示されて、そのお膳立で後日上京税務署と会談するに至った経過が明白に認定しうる。糸田証言等の内容は極めて不明瞭であり、しかも、同人は大阪国税局における同和会との会談の際も、同和会の申出に対し、税務当局としては法に照らして申出は受認できない旨の明確な拒絶の回答をしたとまでは断言していない。それ故、その直後に上京税務署において署長等と面談の機会が設けられ、至極友好的に会談が行なわれた(前記渡守証言)のである。

仮に、同和会の申出、つまり既に行なわれてきている解放同盟による税務申告における税の減免措置と同様の取扱いをするようにとの申出が大阪国税局との会談で明確に拒絶されたのであれば、長谷部らの同和会会部としては、解放同盟に対する減免措置の事実を確認している以上、簡単には引き下がることはなく、大阪国政局に対して何度もその実現に向けての要求を繰り返したであろうし、そうたやすく上京税務署との会談も持ちえず、また、僅か一回のみの会談で終了することはありえなかったであろう。

原判決は、このような大阪国税局との、次いで上京税務署との各会談「京都上京税務署長への要望と確認事項」の作成という客観的事実の流れを全く無視し、糸田証人らの表面的な証言内容のみを鵜呑みにしたかのような結論に至っているところに、事実の認定を誤らしめる原因が存するのである。

3、なお、原判決は、同和会と大阪国税局及び上京税務署における各会談の内容や前記同和会に関する確認事項書面の内容等につき、同和会の主張を排斥するのに糸田と河辺の各証言内容を無批判に採用し、理由付の最大の根拠としている。しかしながら、右両名の証人としての採用経過には極めて異常な状況があり、具体的な証人尋問の内容も甚だ奇異な部分が目につく。すなわち、原審は、右両名の証人採用及び両名の別件の尋問調書の書証としての取調べ以前に、既に予断と偏見をもって被告人村井の公判に臨んでいたとしか考えられないのである。まず、右両名の証人調べは終結時になって突然採用実施された。証拠調べは全て終了し、論告、弁論期日が予め指定された後に、急遽、論告と同じ期日に右両名の証人調べがなされるに至ったのである。検察官にとって極めて重要な右両名の証人申請及び別件調書の取調べ申請がなされていなかったのに突然の申請と採用であった。異常といわざるをえない。

次に、原審における右両名に対する証人尋問の際の裁判所の態度も被告人側からみれば奇異であった。後にも触れるが、同和会の税務対策は多数回にわたり、それが全く同じ内容、方法で脱税していたとされる(近藤と中村の件のように同一日時に複数の申告がなされた例もある)のであるが、それに拘わらず何故この事件となるまで税務当局からの指摘がなされなかったのかが本件の最大の疑問点である。とするならば、裁判所においてもそのような税務対策が認められるに至った経過として同和会側が主張する大阪国税局及び上京税務署との会談内容には極めて重大な関心があるはずであり、この部分についての明確で合理的な説明がなされない限り、有罪判決を導き出すことは困難であったであろう。

しかしながら、原審は右両証人に関しては、その証言内容が木で鼻をくくったような応答であるのに全く裁判所としての補充尋問を行っていない。右両名の別件の証人尋問も同一合議体でなされたものであるが、その際も同様である。被告人を初め、被告人側の証人等に関しての裁判所の補充尋問は被告人側からすると悪意に充ちたものであり、有罪に仕向けるための尋問としか感じられなかったのに、右両名については知らん振りである。真実を述べるはずがないと見抜いていたのであれば別であるが、矛盾だらけの証言を判決理由の最大の根拠としているのである。はなはだ偏見と予断に充ちた訴訟指揮であり、また原判決も予断と先入観から導き出された誤ったものといわなければならない。

4、同和会と大阪国税局および上京税務署との会談および同和会に関する確認事項書面の存在は、同和会による本件一連の税務申告が税務当局の指導と了承のもとで行なわれてきたことを充分裏付けるものであり、次項で検討する各事項をも考えると右の経過がなければ、同和会の税対策はなしえなかったことも明らかである。右事実を否定した原判決には重大な事実の誤認がある。

四、同和会の税務対策は税務当局の了承・容認のもとで行なわれた点に関する事実誤認

原判決は、右の点についても、他の部分における同様に(弁論要旨第三に該当する部分においても)、証拠に基づかない先入観のみで結論を出したうえで、その結論に符合する証拠のみを取り出して、右結論が証拠に基づくものであるかのように論旨を進めているが、その結論の妨げとなるような客観的事実や証拠については、殊更これを無視し、或いは何ら反対証拠に掲げることもしないでこれを排斥しており、証拠を吟味したうえでそれらの積重ねから結論を導き出すとの、裁判手続の原則を無視した違法な判断といわなければならない。その結果原判決は重大な事実を誤認するに至っているが、右誤認は判決に影響を及ぼすことは明らかである。

1、以下、具体的に指摘する。

(一) 短期間にあれだけ多くの税務対策(検察官のいう脱税)が行なわれてきた客観的事実は、原判決の論旨に従えばどのように説明されるのであろうか。この点について原判決は遺憾ながら、全く触れていない。

(1) まず、原判決は右多数回の税務申告がなされた点は認めている。弁論要旨でも触れたように、別表二(弁論要旨添付の表と同一のもの)のとおり、右京税務署のみに関しても、昭和五七年三月から昭和六〇年三月までの間に一二件の同和会による税務対策が行なわれており(これは裁判で認定された分だけであり、不起訴処分となった事案も含めると更に多数件であろう。)、しかも、例えば、昭和五八年六月二九日と七月一四日、昭和五九年三月九日に二件と同月一四日、或いは昭和六〇年三月二日と同月一三日というように接近した日時に、後に述べるように一般的な税務申告では考えられないような異常で全く同じ方法による税務対策が行なわれていたのであるから、もし、この方法が税務当局の容認していなかったものであったのであれば、税務当局により直ちにその異常性は指摘され、何らかの対応が示されていたことは明らかである。しかし、原判決はこの点については触れるところがない。僅か「税務当局がこのような申告行為を積極的に容認しこれが慣行化していたと認めることはできず」との判旨部分があるが、理由として触れたとはいえる程の内容ではない。

右の点並びにこれに加えて右京税務署のみにならず数カ所の税務署においてもほぼ同様の経過であったという客観的事実を正視するならば、同和会の本件税務対策の方法は税務当局の指導に基づいた、少なくとも容認されたものであったことは否定しえないのである。この点において原判決には明白な事実誤認がある。

(2) 次に、右税務対策の具体的方法における疑問点についても原判決は敢えて触れていない。

すなわち、同和会の行う税務対策事案は、いずれも同和産業に対する仮装債務の弁済との方法をとっている(争いのない事実である。)。そして、仮装債務額は多いものでは三億五〇〇〇万円(別表二の番号六)から少ないものでも全て六〇〇〇万円を超える。にも拘らず、税務申告書には資料としてはいずれの例も領収証一枚しか添附されていないのである(例えば、検第七、第二八号証等)。

このような状況のもとで、通常ならば税務署が調査も何もしないことがありえようか。異常性を十分認識しながら、それを糺さなかったのは、結局、税務当局として、右の方法を、すなわち同和産業を受け皿会社とする仮装債務計上による減税と、何億円、何千万円であっても領収証一枚でもって資料としては十分であるとの了解を与えていた証左に他ならない。

この点については、証拠を冷静に検討するならば、税務当局が了承していたとの結論にならざるを得ないために、原判決を敢えて避けて通ったとしか考えられない。

(3) 本件起訴のうち、判示第一の一の近藤と二の中村に関しては、いずれも昭和五九年三月一五日に大津税務署に同時に申告手続がなされている。右内容は、原判決摘示のとおり、近藤に関しては、ワールドが同和産業から借入れた二億円につきワールド倒産により連体保証人であった右近藤が同和産業に一億一二〇〇万円を支払ったとの債務を仮装したものであり、中村に関しても全く同様に、ワールドが同和産業から借入れた四億円につき、連帯保証人であった中村が同和産業に二億四〇〇〇万円を支払ったとの債務を仮装したものである。このように全く寸分違わない内容の税務申告がなされていながら、しかもその内容たるや三億五〇〇〇万円以上の巨大な債務が二人から即金で支払われているという誠に奇異なものであって、素人でも大いなる疑問を抱くにも拘らず、その税務申告の当時も、その後も本訴に至るまで、何らの調査も問合せもされていないことを原審はどのように理解したのであろうか。

罪となるべき事実としては認定しながら、右の疑問点の検討がなされていないのは不思議である。弁護人は弁論においてもこの点は指摘済みであるのに、原審で全く検討がなされていないのは、税務当局(右二人に関しては大津税務署)が同和会の行う右のような仮装債務計上の方法による税務対策を積極的に容認していたとの事実を肯定せざるを得ない結果となるため、先入観に基づく原審の結論と矛盾を来たすのを避けようとしたが故と理解せざるをえない。

(4) 以上のように、少し検討するのみで、同和会による本件一連の税務対策は税務当局の了承のもとで行なわれてきたことは明白であるにも拘らず、この点を否定した原判決には重大な事実の誤認があり、破棄を免れない。同和会の行ってきた税務対策は脱税の故意を欠き、又、違法性をも欠くものである。

(二) 次に、原判決の理由付が皮相的であり、理由としての体裁をなしておらず、その結果、事実の認定を誤るに至っている点を指摘する。

(1) 原判決は、既に触れたように、同和産業設立が税務当局の示唆によるものであるとの経過を否定しているが、その理由付けは誠に表面的であって到底納得を得られるようなものではない。

すなわち、「同和地区住民に対する減税措置が同和行政の一環として可能であれば同和産業などという受け皿となる会社を設立した上で仮装債務を計上し……、申告に当たってはつじつま合せるよう指導するということは自己矛盾であって」と判示する。しかし、既に弁論において詳述しているように、結局のところ右のような仮装債務の方法をとることを容認する以外には現時点では具体的な減税措置の施しようがないのであり、この点を率直に認めなければならない。

つまり、既に二で前述したとおり、同和地区住民に対する特別な減税措置を法律等で明文化することは、例えば「同和地区住民」の定義が実質的に不可能であり、又、その減税措置の内容を一律に定めるのは極めて複雑な作業が必要であって公平な基準を設けるのも事実上不可能といわざるをえないことから、早急に実現しえないのである。そこで、長官通達により、外形的には「同和地区納税者に対して、今後とも実情に即した課税を行うよう配慮すること」との甚だあいまいな表現で基本原則を定めたうえ、各地の実情に応じて柔軟に、且つ妥当な結論を導き出すように、その具体的な処理は現場の税務当局に委ねられていたと解される。従って、受け皿会社たる同和産業を設立して仮装債務を計上する方法こそが、右にいう通達等の法的根拠に基づく具体的な減税措置に他ならないのであって、証拠を直視する限りは当然の結論であろう。

ところが、原判決は、前記(一)で指摘したように、具体的で客観的な事実を全く無視してしまい、その検討を放棄する一方で、同和地区住民に対する減税措置を認める明文の規定がないとの唯一点のみを金料玉条のように掲げて、短絡的に、そして安易に事実に反した結論を導き出している誤りを犯している。右に指摘した点も思考の過程が全く逆であり、結論、それも証拠に基づかない先入観(或いは、同和地区住民であろうとも税の減免は許されない、との同和差別の実態に目を逸せた視野の狭い誤った正義感)にのみ左右された結論で全てを説明してしまおうとする無理な発想によったため、説得力のないものとなってしまったのであり、その結果、事実の認定を誤るに至っている。

(2) 次に、前記(一)の(1)でも指摘したが、多数回の同和産業を受け皿とする仮装債務計上の方法による申告行為を税務当局は了承していたとの弁護人の主張を否定する理由付けを甚だ不十分なものであり、これは事実を誤認した結果に他ならない。その否定の論旨は、税務当局が確認事項を確認したことのないこと、受け皿会社の設立等の指導をしたと認め難いこと、及び仮装債務の計上の方法であるとの点を挙示したうえ、措置法及び長官通達とは何のかかわりもないから、税務当局が了承していたとは認められないと結論づけているのみである。

しかしながら、右判示からも明らかなように、同和会による同一方法による税務申告が反覆継続してなされてきた事実自体は原判決は認定している。そして、その方法が同和産業を受け皿会社とした極めて多額の仮装債務の計上との内容であり、領収証一枚という甚だ不十分な資料によるものであるとの弁護人の指摘についても原審はこれを否定していない。そうであるならば、原審は右の事実をどのように理解したのかが理由で示されねばならないのに、前記のとおりの判示でしかない。当事者間の最大の争点になっており、被告人の故意及び行為の違法性に関する最も重大な事項である右の事実に対する評価判断を失くしては、結局は何の判断をも示していないのと全く同一であるといわざるをえない。

何度も繰返すが、右の事実を冷静、客観的に判断する限り、同和会の一連の税務申告は税務当局の指導と了承のもとで行なわれたことは自明なのである。

この自明の事実を、証拠に基づかずに敢えて否定しようとするが故に、十分なる理由付けが困難となってしまったのである。

3、以上のとおり、原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実についての誤認があり、破棄されねばならない。右事実の誤認は被告人の故意及び行為の違法性において全く異なった結論をもたらすものである。

五 第一事実(駒井弘関係)の犯意の事実の誤認

原審は駒井弘に関する相続税の申告(判示第一事実)につき以下述べるとおり、被告人に虚偽の相続税の申告をなして税を免れる犯意があったものと認定し、事実を誤認している。

1 原審の犯意の認定

(一) 「被告人は、昭和五六年六月、全日本同和会京都府・市連合会(以下「同和会」という。)辰巳支部(以下「辰巳支部」という。)を結成し、支部長となり、同五七年六月から同和会副会長となっていたものであるが、」…「辰巳支部を結成した頃、長谷部から同和会の税務対策について、申告納税額を零とするいわゆるゼロ申告ではなく、多少税金を納め、正規税額との差額の半分位をカンパ金として、納税義務者から同和会に納めさせ、それを本部と支部で半分ずつ分配する旨説明を受け、かつ、同和地区以外の人についても同和会で税務対策を行い、カンパ金を受領したいので納税者を紹介して欲しい旨依頼され」…。

「同月(注昭和五六年一〇月)一九日ころ、長谷部らを京都市中教区柳馬場通竹屋町上る四丁目一九五番地当時の松本司法書士事務所に同行して松本に紹介し、長谷部は同所において松本に対し、同和会の税務対策について説明し、税務対策を希望する納税者を集めるべく協力を求め」…。

(三) 「駒井の相続財産にかかる相続税の申告について、税務対策として、同和会において申告書作成等の申告・納税手続一切を行い、納税額を低額にして欲しい旨依頼を受け、被告人及び長谷部においてこれを承諾し、遅くとも同五七年六月ころまでに、被告人は、駒井及び長谷部ならびに同人を介して鈴木らと、前示のような方法により虚偽の申告をし、駒井の相続税を免れることを共謀の上」…。

(四) 「被相続人の駒井平四郎が同和産業に対し六七五〇万円の債務を負担しており、駒井において右債務を承継した全額を支払った旨仮装するなどした上」…「内容虚偽の相続税の申告書を提出し、そして不正の行為により右相続にかかる正規の相続税額」…「との差額」…「を免れ」たものと原審は認定している。すなわち、被告人は内容虚偽の相続税の申告書を提出し、もって脱税をなしたとして不正行為の認識すなわち犯意の存在を認定したのであるが、これは以下述べるとおり誤っている。

2 被告人の税務対策に関する基本的認識

(一) 被告人は同和地区(被差別部落)である京都市下京区の西七条において出生し、現在は同じく同和地区である伏見区醍醐の辰巳地区に居住している。この間自ら部落民であるがゆえに数々の差別を体験すると共に同和地区住民(被差別部落民)が差別されて来た実態を見聞きして来たのである。自らに与えられた恵まれない家庭的・経済的環境の下に満足な教育も受けることなく、底辺の仕事に従事し必死に生きてきたのである。このような苦しみの経過から安易に子供をもつべきでないとの考えに至り、言いかえれば、差別に負けて子供を持たずにきたのである。しかしながら昭和五〇年頃部落解放運動に携る人々と出会い、交流を深め、学習を重ねることによって差別と闘うことを学び、被差別部落民の社会的、経済的、文化的地位の向上、差別の解消、被差別部落の完全な解放を目指す運動に参加するようになったのである(第一七回公判被告人供述調書)。

(二) そして被告人は昭和五一年一一月、部落解放同盟京都府連合会(以下解放同盟という)辰巳支部の結成に参加し、同時に書記長に選出され、部落解放運動に関わるようになったのである。

被告人の活動は差別によって生じている地域の社会的・経済的・文化的諸現象すなわち、仕事がない、満足な教育が受けられない。行政的福祉対策が受けられない等の地域住民の苦しみ、悩みを少しでも解決しようとするものであった。それらの活動を通じて、同和地区住民の経済的水準を向上させ経済的基盤を確立するための運動があり、その一つに行政すなわち国税当局へ同和地区住民に課せられる税の軽減あるいは免除等を配慮を求める「税務対策(税対)」というものがあることを被告人は知るようになったのである(同四〇丁)。そして解放同盟のオルグ団等から、同和対策審議会答申、同和対策事業特別措置法等の精神から、同和地区住民の税金について国税当局と交渉がなされ弁甲三号証記載の「七項目の確認」が交されていることを聞かされ、その結果税務当局の特別の配慮をもって税の減免が認められていることを知ったのである(同五八丁以下)。そして、被告人は解放同盟京都府連からの指示、連絡により税務対策の相談日を地区住民に伝達するなどの役目を果していたののである。

しかしながら、被告人は税対の相談等事務一切にはタッチしていず、解放同盟のなしている税対の具体的な内容は知り得る立場になく解放同盟による税対の結果、税が安くなるという事実を認識し得たのみである。従って解放同盟の税対が法的に問題があるのか否かも知らず、現在に至るも解放同盟の税対の内容は正確には知らないのである。更には解放同盟の税対が税法上問題があるのか否かも解らなかったのである(同六〇丁)。更に、被告人は解放同盟においても同和地区外の住民の税対をやっていることを知ったことがあり、これには税対が行なわれてきた目的・意義から疑問を感じ、幹部にその理由を尋ねたこともあったが、幹部の説明は民商等との対抗上部落解放組織の防衛、強化のために行うものであると説明を受け、その税対が国税当局に何ら問題とされずに受け入れられている状況から当時は何の疑問も有し得なかったのである(第一八回公判速記録一〇丁)。また、被告人は税対によって解放同盟が納税者によりどの程度の額かは知らなかったが申告手続の礼金としてカンパ金を出してもらっていることも知っていたが、経済的にしんどい地区の人からカンパ金をとることに疑問は感じてはいたのである(第一七回同六四丁)。

(三) 昭和五六年五月解放同盟辰巳支部内での人間関係の問題からその組織を離れたところ、同年六月全日本同和会(以下同和会という)京都府市連合会のオルグ団の方から同和会の組織を、同和地区出身の者で建て直したいとの目的で村井秀明に対し辰巳地域での同和会の支部結成の働きかけがあり、同人が被告人の本家筋という身内であることから、同人から誘われた被告人は同人、村井信秀、勝本勇などと共に原審判示のとおり支部を結成し、解放同盟での運動経験を買われて支部長に選任されたのである(第一七回公判調書速記録四二丁以下)。

そして、被告人は長谷部と右の支部結成に至る前と支部結成の日に顔を合わせ、長谷部より同和会の税対について説明を受けたのである。その内容は前述のとおり原審が(犯行に至る経緯)で認定した内容のものではなく、同和会では解放同盟と同じように税対ができる。解放同盟と全く一緒である。自民党系の組織であるからもっと有利にできる(注…解放同盟が扱うより税金が更に安くしてもらえるものと被告人は解した)。自民党の支部団体であるから、解放同盟のようにゼロ申告ではなく、多少の税金を納めるように申告する。税務署からそのように言われている。納税者から税務対策をした金額の三割から四割位を同和解にカンパしてもらい、それから税金を納めて、残りの金を支部と府連が半分ずつ分配して組織の運営資金にあてる。」と言うものであり、(第一七回同六三丁以下、第二二回同一七丁以下検四三号一項)、更に同対審答申、特措法に基づいてなされた国税当局との確認に基づき税務署当局との話し合いによって税額が決められる旨(第二二回同二二丁)の説明であったため、被告人はそれが税法上問題とされ得る架空債務計上による申告方法だとは毫も知り得なかったのである。むしろ、被告人は同和団体が行ってきた税対については何らの危惧を有さず、税対の結果、同和会から同和地区住民に要求される報酬としてのカンパ金が解放同盟などより多額に求められることを虞れ、長谷部に対し、「辰巳支部の場合は自主カンパにして欲しい」と要請したくらいなのである。それに対し長谷部は被告人に「支部でカンパをもらわないということでは組織新鋭ができないので、地区外の一般の税対をして五割のカンパをもらって組織運営の資金とする。それも同和会を通じてやれば国税に認められているんや。」との説明を受け、前述の過去の解放同盟等の税対の実情の知識から、その言葉に全く疑問を持たなかったのである(第一八回同九丁、第二二回同二五丁)。被告人がこの税対について法律的には問題があると認識するようになったのは、昭和六〇年五月鈴木、長谷部らが逮捕されて脱税事件となってからであった(第一八回同一一丁)。被告人は事件となって逮捕され、同和会が仮装債務を計上して、税額を低く計算して申告し、つじつま合せのニセの領収書を添付していたことを知ったのである(同)。

(四) 原審判示のとおり、昭和五七年六月に被告人は全日本同和会京都府市連合会副会長に推されてその地位についた。右同和会京都府市連の幹部役員としては会長(鈴木元動丸)、副会長(被告人及び西田幸広)、事務局長(長谷部純夫)、事務局次長(渡守秀治、内藤光義)、青年部長、婦人部長などが定められていた。その役職者は同和会の活動のすべてに関与するのではなく役割分担、職務分担がなされており、税務対策については長谷部事務局長が事務局を指揮して税対事務の全てをやって来たのである。同和地区に身を置く被告人、西田副会長らは地域活動に専ら当り同和地区の仕事、就職、教育、福祉などの様々な生活要求を酌みあげてその事務を処理したり行政当局と交渉したり、差別から生じる社会的不公正の是正のために活動してきたのである(第一九回同一四丁)。

しかしながら被告人は解放同盟の組織の一員であったことから、部落解放運動の活動家として同和会の組織、運営、役員の差別問題に対する見識や取組み、活動等に強い疑問や不満、批判的見解を有していたのである(第一七回同四四丁以下)。そのため被告人は鈴木会長、長谷部事務局長らからは煙たがられる立場にあり税対の方法や申告の中身等については知らせてもらえない状態となっていたのである(弁九号第四項。第一九回同一六丁)。被告人が同和会の税対の関係で果されていた役割は税対希望者を長谷部へ紹介すること、税対すなわち申告を依頼する納税者等に対し部落差別問題について説明すること、あるいは申告に必要とされるいくつかの書類を納税者から頼まれて預かり同和会事務所へ運んだり、逆に同和会事務所から頼まれて納税者方へ運んだりのメッセンジャーボーイ的仕事位であったのである。従って被告人の認識としては同和会のやっている税対は、解放同盟がやっているのと同様に同対審答申、特措法の精神に基づいてなされ、税務当局との七項目の確認に基づき、税務署の指導と配慮によって税額が決められ、同和会において報酬(カンパ金)を受け取って活動資金とすることも国税当局から認容されているものとすっかり信じ込んでいたのであって、同和会が仮装債務を計上する方法でつじつまを合わせて税額を低くして申告しているものとは全く知らなかったのである。

3 原審の判断とこれに対する批判

(一) 原審は判決書の(補足説明)の部分で「(1)昭和五六年一〇月一九日ころ、松本司法書士事務所において、長谷部が松本に対し同和会の税務対策について説明した際、被告人も同席していたものであって、その際の長谷部の説明の内容は、納税者に正規の税額の半分を負担してもらい、そのうちから税金を納め、残りをカンパ金とするが、その方法は仮装債務を計上して行うというものであったところ、松本から違法ではないかと指摘されたのに対し、長谷部が、税務当局から書類上もつじつまの合わないものは困るからつじつまを合わせてほしい旨の要望があって書類作りしている旨答えており、被告人はこれらの説明等について、とくにこれ聞いていなかったという特段の事情も見当たらないので、当然聞知していると認められる。」として、右の日時頃に被告人は長谷部の松本への説明を同席して同和会の不正申告のやり方を知ったとしているのである。恐らく原審は証拠能力及び信用性のない検二〇七号乃至二〇九号の長谷部の供述調書等によって右のとおり認定したものであろう。しかしながら、これは余りにも恣意的、不合理な証拠判断に基づくものである。証拠の判断は自由心証によるものとは言っても被告人に対して偏見を持って有罪にするために都合の良い証拠を恣意的につまみ食いをして認定してよいものではない。証拠の信用性、証明力はあくまでも合理的でなければならないのである。検二〇七号乃至二〇九号証は長谷部の本件の公判廷の証言を崩す目的で刑訴法三二一条一項一号又は二号書面として証拠調請求されたものである。原審はいとも簡単に証拠能力を認め、更にはいかなる理由に基づくのか不明であるが高い証明力を認め前記のように認定したものである(従って原審には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反もある)。しかしながら、右認定は以下述べるとおり誤りである。

(1) 被告人は捜査段階から一貫して右の長谷部らが行ってきた申告方法すなわち債務を仮装するやり方等を知らなかった旨供述している。これは公判を終了する段階に至っても変わることがなかった。捜査段階で認めていた事実を公判で否認したこともない。一方捜査段階で否認していた不利益な事実(昭和五九年一〇月二五日木村喜久治方を訪問したこと、その日に念書を書いたりしたこと、その日に大津税務署へ行ったこと、その日にカンパ金一〇〇〇万円を分配されたこと等)については、公判段階に至って、記憶がよみがえり認めるに至っている。捜査段階で否認していたのは当日辰巳工営の仕事をしていた記憶が鮮明であったため、その日は木村方へ言っていない筈とすっかり思いこんでいたからである。公判段階に至って検察官より開示された松本善雄らの供述調書を読んでカンパ金を分配した喫茶店を思い出し、自己の記憶の誤りに気付き、公判廷で右の事実を認めるに至っているのである。かかる例からみても罪を免れるためにあえて嘘偽りを述べているのだとは判断しえないのである。

(2) 原審は長谷部の検二〇九号証(昭和六〇年(わ)第九四二号等第五回公判証人尋問調書)の「松本善雄から最初に紹介のあった譲渡所得税の申告に際し、松本に架空債務の領収書について説明したが、松本から大丈夫から言われたので税務署から書類上のつじつま合わせを求められ、同和産業を設立してこれに基づき書類作りをしている旨説明した。このとき村井秀雄も同席しており、大体の内容は村井が説明し私が補足説明した。」旨の供述を信用して前述のとおり認定してるものと思われる。しかしながら、右の長谷部の供述の信用性を裏付けるものはなく、むしろ否定する証拠の方が多く、その虚偽性を示すものの方が多いのである。

(3) 先ず右の供述にある「松本から最初に紹介のあった譲渡所得税の申告の際」とあるのは添付別表一の21記載の掛川きみ子の件を指すものである。同人の申告は昭和五八年三月一五日であることは右別表より明白である。松本が同人の申告の件を同和会に斡旋依頼したのは昭和五七年一二月頃であったから「長谷部が松本に最初に説明した時期」について原審が「昭和五七年一〇月一九日頃と認定したことは明白な誤りである。このように原審が依拠した供述そのものに矛盾が生じているのである。

仮に「松本から最初に紹介を受けた申告者の件のとき」と長谷部が言い間違えたとするならば、どうなるであろうか。最初の紹介があったのは中村隆男の相続税の更正請求の件であり、時期は昭和五六年一〇月頃のことである。このときに長谷部が松本に同和会の申告のやり方を説明したとするならば、原審の認定は正しいということになろう。しかしながら右中村の件は相続税の更正請求の件であり、仮装債務を計上して更正手続をしたものではなく、長谷部がただ単に税を低くしてほしい旨税務署にお願いしたところ、税務当局が更正をしてくれたものである(第二六回公判速記録八丁)。したがって右中村の件の時に松本に対し長谷部が被告人のいる前で仮装債務計上による申告のやり方を説明する必要性は無いのである。長谷部自身本件の第二六回公判で右検二〇九号の供述を否定して「六四条二項を適用しての説明をしたのは昭和五七年の夏以降か、秋以降」(同八丁)のことである旨述べているのである。

(4) 一方長谷部から申告のやり方を聞いた松本証人は公判廷で右検二〇九号等の長谷部の「昭和五六年一〇月頃松本へ申告のやり方を説明した」旨の供述を明確に否定しており、「長谷部から仮装債務計上の方法を聞いたのは昭和五八年七月である。」と明確に証言しているのである(第二六回公判速記録一五丁以下)。そもそも中村の件は、松本が中村から相続税が高くて困ると相談を受け、前に長谷部から同和会を通じて申告すれば税金が安くなると聞いていたことを思い出し、中村に長谷部を紹介するため同和会の事務所を教えただけであったのである(検一七三号五項、六項)、そして、松本は右検一七三号において掛川きみ子らを長谷部に紹介した頃、長谷部と話をした機会に長谷部から「税務署に申告書を出すときつじつまが合うように領収書などをつけているのや」と聞かされ(同九項)、その後更に松本事務所に長谷部が来た時所得税法のパンフレットを見せられ「お金を借りた債務者があり、その債務を保証した保証人に申告者がなり、その債務者が支払う力がなく返済不能になった時は、土地を処分して保証人が代位弁済するとその分は特例で全額所得から控除されるので安くなるのや」と教えてくれた旨供述しているのである(同一〇項)。そこには一切村井が同席していた旨の供述はなく、又、同席をうかがわせるような供述もないのである。なお、松本証人は本公判廷で近藤傳治郎に同和会の申告のやり方を説明するため、前述のとおり昭和五八年七月同人の事務所で長谷部から、所得税法六四条二項の記載のあるパンフレットを示されて説明を受け、それにもとづき六法を見て理解した旨証言し、これがまちがいのない事実であると明言しているものである(第二六回公判速記録一五号二〇丁)。

従って、全く信用できない性格の長谷部の検二〇九号等の供述の信用性を裏付、補強するものは全くなく、むしろその供述の虚偽性や信用性のないことを証明するものしかないのであって、原審の事実誤認は明らかである。

(二) 次いで原告は補足説明において「(2)被告人は、同年八月か九月ころ、飯塚昇に対し、同人の妻の相続税の申告につき、「同盟に頼めば(正規税額の)三割、同和に頼めば一割」と言って同和会に頼むよう勧め、その依頼を受けて手続き中には、被告人が遺産分割協議書等を右飯塚の妻の母に手渡しており、「右協議書には被相続人の同和産業に対する三、五〇〇万円の仮装債務が記載されていた」。と認定している。この事実が何を意味するというのか理解ができない。仮に被告人が仮装債務が記載された右遺産分割協議書等を中野貞枝方に持参したので、被告人が右協議書等を見て同和会の申告のやり方を知った筈だという認定であるならば、これは全く証拠に基づかない判断である。そもそも被告人が右協議書を見たという証拠はないし、又見たのではないかと疑われるような事実も全くないのである。被告人が同和会の封筒(その中に協議書等が入っていたらしい。)を中野方へ持参したのは事実であるが(第六回公判速記録二五丁)、中の書類やその記載など全く見ていないのである。右飯塚は被告人が届けたことから右協議書を見ている筈と勝手に推測をなし、前述のとおり何回かその旨の証言をしたりしているが、その推測の根拠は全くないのである。まさに下衆の勘ぐりとしか言いようがない。

(三) 更に原審は次のように認定できる旨補足説明をしている。すなわち(3)被告人は駒井の相続税について、長谷部に対し「駒井さんの税金は同盟以下にしてやってや。」と頼んでいるものであって、当時、被告人は納付する税金の額を決めるのは長谷部であると考えていたと見られる。(4)被告人は、長谷部から駒井に渡すよう言われて、仮装債務の記載された遺産分割協議書を封をしていない封筒に入れた状態で預かっており、その際、長谷部から押印箇所、署名箇所等の指示説明を受けたというのであるから、これを駒井の妻に伝えたと思われる。(5)駒井は、右遺産分割協議書中に、被相続人に同和産業に対する八〇五〇万の債務がある旨の記載を見出して不安を感じ、被告人に電話をし、次いで被告人の指示により長谷部に電話してこれらについての説明を受けたが、その際、被告人に対し電話で、右同和産業に対する債務の記載について説明したところ、被告人はこれに格別驚いた様子も見せなかった。(6)駒井が支払うカンパ金の額については、駒井が被告人方を訪ねた際に決まったもので、被告人はこれを日記帳に「駒井来る、税対カンパ三〇〇決る」と記載しており、被告人が「決める」にしても、駒井と話し合って「決まる」にしても、これに被告人が深く関与していたことは明らかである。(7)被告人は、駒井から受領したカンパ金のうち、辰巳支部分だとする一五〇万円を同支部会計勝本勇に全額渡したと弁解するが、被告人もその人物について間違いのない堅い人であると認めている右勝本は右入金を否定しており、押収してある金銭出納帳(昭和六一年押第一三〇号の三)を検討してもそれに当てはまるものはなく、被告人が主張するように同五七年一一月の湯村温泉旅行費用に充当したとしても、被告人は、右勝本に、同年九月下旬から右旅行までの間に一〇〇万円を渡したに過ぎず、右勝本に渡される金員は、旅行前に主としてその費用として渡されるものであることは、その入金時期、金額等から明らかであり、右一〇〇万円も同様であって、カンパ金の辰巳支部分として受領したものをそのとおり、カンパ金として支部会計に入金するのとは性質が異なるというべきで、右カンパ金一五〇万円は支部会計に入金していないと見ざるをえない。(8)長谷部は、被告人が同和会副会長になった際、被告人に対し、税務対策の具体的方法とりわけ仮装債務を計上することを格別説明しなかったというが、それは、長谷部が被告人に対し、被告人が副会長になる以前の辰巳支部長当時に、税務対策で税金が安くなるのは、税務当局の指導により書類上つじつまを合わせている旨説明しており、その具体的方法については被告人が当然熟知しているものと考えていたからてある。

以上のとおり、被告人は遅くとも同五七年六月ころまでには、同和会の行う税務対策は、仮装債務を計上して、書類上のつじつま合わせをして、相続財産を過少に申告し相続税の全部又は一部を免れるものであることを十分知っていたものであり、判示第一の相続税違反の範囲の内容としてこれをもって、足りると解すべきであり、従って、そのころまでに、被告人が、長谷部及び同人介して鈴木らと判示第一の相続税ほ脱の共謀を遂げたことは、前掲の関係各証拠によって優に認められるところである」として判示第一の相続税ほ脱は証明十分であると結論づけているのである。

ところで右の判示の(3)についてであるがこのことが被告人の犯意を立証するのにどのような意味を持つか不可解である。いくら税金のことを知らない被告人であっても「納付税額を決めるのは長谷部である。」とは考えてはいなかったのである。税額を決めるのは税務当局であり長谷部が税務当局の指導に基づいて申告をなし税務当局と交渉のうえで決定されるものと思っていたからであって、なるべく安い税金で済むよう交渉して欲しいとの希望を長谷部に述べたにすぎず、意図的に脱税行為を持ちかけたわけではないのである。

同じく右の判示の(4)についてであるが、そもそも被告人は封筒に入った書類を長谷部より預かった駒井方へ届け、駒井の妻に渡しただけであるが、仮に原審認定のとおり長谷部より押印個所、署名個所の指示説明を受けたとしても、それだけでは協議書の内容、すなわち仮装債務の計上の説明を受けたことにはならないし、その記載部分を読んで仮装債務を認識したことにはならないのである。原審の認定は証拠に基かない憶測であって誤っている。

更に右の判示(5)についてであるが、原審は駒井弘の「遺産分割協議書に同和産業に対する架空債務が計上されているのを発見して心配になり、被告人に事情を説明し、『借金も無いのに、どうなっているんやろ。』と質問したところ、被告人から長谷部に聞いてくれと言われた」旨の検面供述(昭和六〇・七・二二付、検二〇五号一九頁項)をとらえて被告人が同和産業や債務仮装による不正の方法による申告を知った筈だと認定したようである。しかしながら駒井は村井に対し電話で「ちょっと分割協議書の内容がわたしには納得できないことがあるから、これはどういうことですか。」と聞いたが「分割協議書がこういっているけどどうなっているのかとか、そういう内容の詳しいことは言うてません」「内容については村井さんが知っていると思っていたから聞かなかった」旨公判廷で明確に供述しているのである。更に「電話で尋ねたときはそういう回答で(注…事務的なことはわからんから長谷部さんに聞いてくれ。)、中の内容は知らないとわたしは思いました。」と公判廷で明確に延べ、更に「同和産業というところからお金を借りているんだという件について村井さんに電話したんだというような調書になっているんですが」という質問に対し「いや、それは長谷部さんの方に尋ねたときにそれを言いました。」と明確に右検面供述を否定しているのである。これらの証言は自らの不正の認識を隠す目的や村井被告人をかばう目的で嘘偽りを述べたものではないのである。駒井自身同和地区住民には特別措置法の精神に基づいて税が軽減されるものと信じていたものであり、電話をしたのは脱税になり得ることを心配したためではなく、後に借金の返済を求められることを心配したためであることは駒井の供述証言から明らかである。そもそも駒井が証人となったときには自からの裁判は終了しており不正の認識を隠す必要がなく、自己に対し脱税という汚名と大きな損害を与えた村井被告人をことさらにかばう必要も理由もないのである。村井被告人が債務を仮装するという方法を知らなかったことは駒井の右検面供述証書等に「知っていたと思う」とあったり「知っていたはず」という想像に基づく供述部分が多いところからも明らかである。しかるに原審は右の駒井の公判廷の供述を「矛盾し、内容か不自然で信用できない」と簡単に切捨て、事実誤認を犯しているのである。

次いで右の判示(6)についてであるが原審は駒井のカンパ金の額を被告人が深く関与して決めたように認定した。これは、判示のとおり村井のノートの「駒井来る。税対カンパ三〇〇決る。」との記載と長谷部の供述からこのように認定したのであろう。しかしながら長谷部の右供述は嘘である。他の起訴事実である近藤傳治郎・中村春造・木村喜久治の件を見ればわかるとおり長谷部が正規税額を計算してカンパ金の割合金額を決めているのである。被告人が駒井の正規税額がいくらであったか知っていたこともなく、その証拠もなく被告人がカンパ金の額をきめる事はできないのである。「駒井来る。カンパ三〇〇決る」の記載も長谷部から指示されたカンパ金の額を駒井に伝え、その了承が得られたので「カンパ三〇〇決まる」と記載されたと読むのが自然である。従ってこのことが被告人の仮装債務計上による申告方法の認識を示すことにはならないのである。

右判示(7)についてであるが原審は駒井の辰巳支部分のカンパ金一五〇万円が支部会計に入金されていないと認定し、あたかも被告人が渡したかのように考えているようである。確かに原審認定のとおり押収にかかる金銭出納帳にはその旨の記載がないことは事実である。しかしながら、右の金銭出納帳は事件発覚後の昭和六〇年八月頃、村井秀明の指示、命令によって勝本勇が新たに作成したものである。証拠の隠滅を図って、当初からの金銭出納帳、伝票等は処分されてしまい、内容を偽った右の金銭出納帳となったのである。(第二五回公判速記録一〇丁以下参照)。そもそも右の金銭出納帳と辰雄支部名義の銀行預金口座を比べて見れば、勝本が金銭の出入りを正確に記載しきちんと管理をしていたのがはなはだ疑わしいのである。出納帳では数百万円の金員が勝本に渡されたことになっても、その金員が必ずしも預金されていない事実がはっきりしている。預金の払戻し額と出納帳の記載が一致しているわけでもないのである。勝本が一部支部の金員を他に流用していた疑いが拭いきれないのである。更に、被告人が仮に駒井のカンパ金を一部でも渡していたとするならば、その後、伏見の辰巳地区の人間ではなく山科の人間である駒井を研修旅行に誘うわけがないし、又更には旅行に行った際に駒井からカンパをもらったので、研修旅行ができるのだなどと参加者に報告する筈もないのである。すなわち誰かが駒井に対しいくらカンパをしてくれたのか聞くことが当然予想されることであり、被告人に私心があったならばこのような報告等はしなかった筈である。

最後に原審判示の右(8)についてであるが、これは長谷部が検二〇七号証の供述調査や公判廷において「申告書類についてはつじつまを合わせて提出していると説明した」旨の部分を捕えて判断したものであろう。しかしながら被告人は長谷部から「つじつまを合わせて」提出しているなどの言葉は聞いていないのである(第二回公判速記録一九丁)。被告人が長谷部から聞いたことは「解放同盟の申告はむちゃくちゃから(同和会は)書類をちゃんとそろえていかなあかんのや」という趣旨のことである。長谷部の説明は要するに解放同盟の申告はきちんとした書類を提出しないでゼロ申告をしているので税務署がめちゃくちゃやと言っている旨の説明であり、一方同和会は税務署から言われたとおり書類を整えてきちんとした申告書を提出している旨の説明なのである。官公庁に書類を提出する場合、きちんとした書類を整えて出すのは当然のことであって不審なことではなく被告人は長谷部の説明を聞いて解放同盟は「そんなむちゃくちゃしてのかなあ」と思ったが、同和会がニセの不正な書類を整えて申告しているとまでの認識は毫もなかったのである。(同二一丁、第二三回公判速記録五丁以下)。従って、逆に長谷部の説明から同和会は、解放同盟とは異となって体制側の団体として税務署の指導の下にきちんとした正しい申告をしているものと思い込まされていたのである。

なお、長谷部は第二六回公判において、辰巳支部結成時の「昭和五六年六月、七月は私達そこまで慣れていませんし、それまでは税務署の方で書類を書いてもらってましたので、私自身がそんな説明(注…仮装債務を計上しての意である)できる程ではございませんでした」と右の検二〇七号の供述部分の事実を否定する証言をしており、当時の同和会の税対の取り組み程度からすれば、右証言の信用性はすこぶる高いのである。

(四) 原審は「被告人が駒井の相続税のほ脱が仮装債務を計上して行うものであると知っていたことを直接明らかにする証拠はない」と正当に判断するのであるが右の(一)ないし(四)で述べたような事実を誤認して、被告人に税ほ脱の犯意があったと認定する誤りを犯しているのであって破棄は免れないのである。

六 判示第二事実の一、二及び第三事実(カネボウ不動産関係)についての犯意と違法性の認識についての事実誤認

1 原審は「被告人は、判示四件のほ脱行為のうち時期的に最も早い判示第一の駒井の相続税法違反が敢行された同五七年六月ころまでには、同和会の行う税務対策が、仮装債務を計上し、書類上のつじつま合せをして、相続財産を過少に申告し、相続税の全部又は一部を免れるものであることを熟知していたものであり、この点に照らすとその後犯行に及んだ判示第二の一及び二並びに第三の各ほ脱においても判示第一と同様、仮装債務を計上し、書類上のつじつま合せをして所得税等を過少に申告し、所得税等の全部又は一部を免れることを認識し、それぞれについて違法性の認識を有していたことは明らかであるというべきである」と認定し、被告人には不正申告の犯意がなくかつ違法性の認識がなかったにもかかわらず、犯意があり違法性の認識があったものと事実を誤認している。

2 右の認定の理由としてのべるところは、(1)「判示第二の一及び並びに第三の三件のほ脱は、同和地区住民についてのものではない」こと、(2)「同和会の税務対策による申告行為が、たとえば同和控除によるような措置法、長官通達等に基づくものではないこと」、さらには(3)「税務当局との確認事項及び税務当局の指導を認めることができないこと」である。

右の(1)の理由は事実その通りである。しかしながら被告人は長谷部から昭和五六年六月頃「同和地区外の場合でも税務当局に適法に認めてもらえる。」旨説明されており、また前述のとおり被告人が解放同盟に所属していた時代にも同和地区外の人の税の申告代行(税対)が問題なく認められていた事実を知っていたので、何の疑問も持たずに信じてしまったのである。もちろん被告が余りにも簡単に長谷部の説明を信じ、違法性の認識を有するに至るにいたらなかったことは軽率のそしりを免れるものではないが、違法性の認識を持たなかったことだけは間違いのないことである。

右の(2)の理由は事実その通りである。しかしながら被告人は前述のとおり同和会の申告が仮装債務を計上して行うものであることは全く知らなかったものであって、同和対策事業特別措置法の精神に基づく長官通達等による税務行政上の配慮によって税が軽減してもらえているものと信じこんでいたものであって被告人に違法性の認識があっことを証拠ずけるものはないのである。

右の(3)の「確認」や「指導」が認められないとの理由は前述のとおり事実を誤認しており理由とならないこと明らかである。

3 被告人には同和会の申告が不適法である旨の認識がなかったこと

(一) 更に原審は『(1)右三件の事案はいずれも鐘紡不動産の依頼により同和地区出身者以外の納税者であったことを被告人が認識していたこと、(2)カンパ金の一部が被告人経営の辰巳工営株式会社の預金口座に振込まれ、この中から個人的に一六四〇万円を受領していること、右の振込のために辰巳工営の白紙の見積書・請求書等を渡したこと、(3)昭和五六年七月及び同八月五日頃に架空の領収書を鐘紡不動産宛渡して謝礼金を受けていること、(5)木村喜久治宛に一切迷惑をかけない旨の念書を書き、個人的報酬としては多額といえる一〇〇〇万円を受領し、被告人及び被告人の関係者の個人口座に入金したこと、(6)被告人を通さない税対があると疑い松本に対し異を唱えたこと、(6)自分の経営する辰巳工営の税金の申告を同和会に頼まなかったこと』等の事実を認定して「結局、同和会の税務対策が不適法であると認識していたとが優に推認されるものであって、被告人が右三件の各申告について、いずれも法律上許容されないものであることを十分認識していたと認められるのであって、適法だと信じていたと疑う余地は全くない。」と結論づけているのである。

(二) しかしながら右の(1)の三件の事案がいずれも同和地区住民に対するものではないとしても被告人は前述の通り長谷部から地区外の税対も問題なくできる旨説明を受け、それを信じていたものであって、なんら不適法である旨の認識となる根拠となり得ないのである。

右(2)についても指摘の事実が違法性の認識があったことを推認する根拠とはなり得ないのである。すなわち被告人は前述のとおり同和会による税務の申告は、長谷部らの手によって適法になされているものと信じていたものであって債務を仮装するなどの不正な行為によって申告をしているとは全く知らなかったのである。被告人としては同和会がしてやった税の申告によって正当に税が軽減されたことによるお礼として同和会が依頼者から報酬を受ける事は法的にはなんらの問題があるものとは考えていなかったのである。そして同和会がもらった報酬の支部分配分としてカンパの一部が渡されたものを公然と自己の預金口座に入金して保管していたものである。このように個人口座に入金しておくという措置は不適切であったことは否定できないが、被告人には「悪の報酬」であるとの認識がなかった事は確かである。すなわち、被告人に不正の個人利得を得る目的であったならば、むしろその発覚を恐れてカンパ金を隠匿したり、費消するのが常識であるし、長谷部に対しお礼が低額になるよう「辰巳支部は自主カンパにして欲しい」旨要請することもない筈である。被告人は自己が得たカンパ金で将来同和地区住民のための事業資金にしようとして預金を続け、自家用車を購入するにもその代金として支払うため一旦銀行より払い戻しを受けて事実上借入を受けた形を取り、後に同和対策融資を受けて同額を借入れて、それを預金して、返還し直したりしており、不正の利得を得る認識があったとは思えない行為に出ているからである。また、被告人は辰巳工営の白紙の見積書や領収書を長谷部に渡しているが、これは税の支払、カンパ金の支払が納税者ではなく鐘紡不動産持ちとなっていたことから鐘紡不動産の都合に合わせて協力をしてやっただけのことであって、道義的に問題があるとか他の法的問題とはなりえても税の不正を認識していた証拠となるものではないのである。右の(3)の架空領収書を発行して鐘紡不動産の裏金作りに協力し被告人が謝礼を受けた事実は指摘のとおり確かであるが、同和会の税の申告に関係したものではないのである。鐘紡不動産より、同和会に税の申告を納税者の近藤らに代ってやってもらうよう依頼があったのは架空領収書の件が終わった後のことである。被告人が裏金作りに協力したという点で別の法的問題が生じうることは否定できないが、そのこと自体が被告人の同和会の申告の不適法さの認識を推認させることはないのである。右の(4)の念書を書いたり、個人的多額の報酬を得たことも原審の指摘の通りである。しかしながらこれらも被告人が同和会の税務対策が不適法なものであると認識していたことを推認させるものではない。被告人は繰返し述べるが同和会の手による申告は適法になされているものと信じていたものである。従って木村から念書を書いてくれと求められたこと自体も不思議に思っていたくらいなのであった。被告人として何の問題もないと思っていたので、何の疑問も持たず、何の心理的抵抗もなく簡単に署名捺印しているのである。仮に被告人に不正の認識が少しでもあったならば後々まで証拠として残ってしまうような文書に簡単に署名するとは考えられないのである。これらは松本司法書士にも同じように言えることである。松本司法書士も同和会の申告は税務署が認める適法なものと信じ切っていたため、同様に署名したのである。仮に不正の申告であると少しでも疑っていたならば松本司法書士もその職や資格を賄けてまで協力してはいない筈である。松本は京都地方裁判所の西門の前に自分のビルを持って事務所を構え、司法書士として結構繁盛していたものであって、一時的な利得に目をくらませてそれを失うようなことはしていなかった筈である。

また被告人が受けとった報酬は確かに多額ではあった。しかしながら多額で、個人的に入金していても前述のとおり被告人の不正の認識を推認できるものではない。被告人は適正な申告をしていると信じていたもので、その結果、税が大変低くなったために多額のお礼・報酬を納税者がしてくれた結果にしかすぎないのである。更に、右の(5)の被告人を通さない税対について松本に異を唱えていたことも指摘の通りである。これは被告人として当然のことであろう。被告人は税対によって同和会に報酬が入り、その中から辰巳支部への配分が成されたのであるが、被告人を通さないと辰巳支部扱いとならないので同和会の本部から支部に分配金が来なくなってしまうからである。そこで被告人は異を唱えたのであって不正の報酬にありつけないことを恐れたからではないのである。被告人として適法な申告によって得た報酬は支部に分配してもらえるものは支部にきちんと分配して欲しかったからそのように述べたに過ぎないのである。

最後に右の(6)についてであるが、被告の経営する辰巳工営の税の申告は指摘の通り同和会の税務対策によっていない。しかしながら原審は被告人が同和会に頼まなかった理由について誤解をしているのである。辰巳工営は京都府、京都市等官庁の指定業者となっており年間八〇〇万以上の純利益があるが、同和会に依頼して税を軽減してもらうような対策をとらなかったのは同和会の税務対策の適法性に疑問を認識していたからではないのである。土木業者等が官庁から指定をしてもらうためには納税をしていることが条件となるのである。従って被告人経営の辰巳工営業も納税をしていなければ指定業者から外されてしまうのである。従って指定業者の地位を守ろうとする事業者の中には利益がないのに利益を粉飾してまで計上して申告し、納税をするものもないわけではないのである。辰巳工営としては同和会に依頼して税の申告を代行してもらったときに税の軽減措置を受けて納税しなくても良い結果になるとむしろ指定業者から外されてしまい困るのである。被告人が「納税証明がおりないと困る」旨供述したのはそういう意味なのである。同和団体に依頼して税の申告をすると零細の法人や事業者は税の軽減の恩恵を受ける結果納税しなくても済んでしまうのが今までの実情なのである。辰巳工営にとっては税が軽減されゼロとなるのは経済的には助かることではあるが、指定業者から外されてしまい、大きな損失となるので、むしろ積極的に納税するような申告をせざるを得ないのである。従って被告人が同和会の申告が法律上許容されないものと認識していたからではないこと明らかであろう。

4 以上述べたとおり判示第二の一及び二ならびに第三の事実についても被告人には仮装債務計上によって書類上のつじつま合わせをして税を過少に申告して、税の一部を免れるとの事実の認識が全くなかったのであるから犯意がなく、更に不正の行為によって税をまぬがれるとの認識もなかったのであるから刑法三八条但書により刑が軽減されるべきであったのである。

第三、量刑不当

一、量刑事情の誤認

原判決は、本件を「四件の犯行」とし、ほ脱額を「合計二億一六三一万五七〇〇円」、長谷部らを含めた受領カンパ金を「合計約一億一三〇〇万円」、被告人の受領金を「二七九〇万円」とするが、判示第一の駒井関係の件までも量刑事情、特に重い事情として何らの留保もなく加えることには大きな誤認がある。

即ち、前記の通り、同和地区住民に対する租税軽減措置は、特措法・国税庁長官通達、さらに同和会と大阪国税局・上京税務署との確認によって、現行法体系上経過的措置として適法かつ正当な事項として容認されているのであり(弁七号証、二六頁二段、磯辺国税庁次長は、同種の大企連との確認につき「同和問題というものがすっかり解消になる、そして、あえて同和問題について特別な議論をしなくても済むようになるまでは、やはり経過的にやむを得ない措置」(傍点引用者)と明確に述べている。)、同和地区住民である駒井関係の税務対策を非同和地区住民のそれと十把一からげにして有罪と認定した誤りに加え、量刑においても何らの留保もせずに重い事情に加えたことは、同和地区住民の被差別実態、その補助事業としての税務対策の位置づけを全く正解しないもので、甚々しい誤認がある。

二、責任主義違反その一(客観的事情の無視・軽視)

1、量刑の基本原則

人々は、重大な被害が発生したとき、たとえば人が死んだようなとき、その加害者を憎み、ただちに応報を加えたがる傾向がある。そして、自己の攻撃的な感情の爆発を正当化するために、加害者に責任があると「言う」傾向がないのではない。そこで、犯罪行為者に、刑罰が影響を及ぼしうるような心理的要素があるときに限って処罰するようにしなければならない。これが責任主義である。

刑の量定についても(最広義の)責任主義が問題となる。

応報刑論(絶対的応報刑論)は刑罰を加えること自体がいいことであり、悪い行為があれば「必ず罰せよ」とする傾きがある。抑止刑論(相対的応報刑論)は、苦痛を加えることによって犯罪を抑止しようとするのは、それ自体として好ましくないことであり、刑罰はいわば必要悪であるから、もし他の方法によっても犯罪の防止が可能であるならば、できるだけ刑罰の使用を制限しようという傾向をもつ。

抑止刑論の立場からは、刑罰の必要性の限界を慎重に考慮する必要がある。その場合には、とくに次のような点を考慮しなければならない。

(イ) まず、犯罪を防止するには、行為を非難するというよりも、社会福祉的な施策による方が効果が大きいこともある。……「社会政策は最良の刑事政策である」ということばは、いぜんとしてかなりの真実性を持っている。卑近な例をとってみても、たとえば、交通事故による死者を少なくするには、過失致死を重く処罰するよりも、道路を整備した方が、はるかに大きな効果を持つことが多いのである。

(ロ) さらに、犯罪に対する社会的非難は、刑罰という手段によってのみ表現されるものではない。いいかえると、刑法だけが社会統制の手段なのではない。近隣の人々の評価、職業的社会における地位と信用性の失墜、マス・コミュニケイションを通じての一般の人々の反応、その他の多くの「社会統制の手段」がある。その一つとして刑罰は存在するにすぎない。……刑罰自体は、直接的な苦痛としての面が強く、法的確信を強化するという面はそれほど強くはないのである。刑罰の非難としての面は、他の社会統制の手段と共同して作用したとき、はじめて効果を発揮するとさえいえる。したがって、他の社会統制の手段が適切に働くときは、刑罰は必ずしも必要でないこともある。また、逆に刑罰を加えなければ、その行為が是認されたことになるかのように考える必要もない。

(ハ) 刑事司法の内部においても、刑罰だけが孤立して機能をいとなむわけではない。逮捕・勾留・公判への出頭強制、裁判の言渡などは、理論的には刑罰を加えるための手段にすぎないが、現実には、それ自体が社会からの一時的な隔離や社会的非難の表明といった刑罰的機能をいとなんでいる。とくに現在のようにマス・メディアが発達している場合には、逮捕や有罪判決の報道が、そのような行為に対する社会の否定的判断を人々に伝達し、それが犯罪抑止のためにも大きな効果を持つ。現実の刑罰の執行そのものによる抑止的効果も、もちろん否定はできないが、欠くべからざるものでもないことも、ある。ここに、刑を猶予し、あるいは刑務所内の処遇を犯人の社会復帰のために用いる余地が生じてくる。

(以上、平野龍一・『刑法総論Ⅰ』、五二、二三~二四頁、傍点引用者)

2、原判決の不当性

原判決は、「本件犯行が申告納税制度の根幹を揺るがす重大な犯行で、一般の誠実な納税義務者に対して与えた影響も大きいことを併せ考えると、被告人の刑事責任は重い」(三一丁裏)とするが、被告人外の客観的事情に関する次の三点について具体的かつ説得的説示もなく極めて不当である。

(一) 本件の基点には、同和地区住民の社会的・経済的劣位、被差別が厳存し、これに対する特措法の期待した国の施策の不十分さが存在し、これを補うものとして過渡的措置としての租税軽減措置が位置づけられるのであり、最も基本的な事柄として同和地区住民に対する行政施策の十分さ、平等社会の確立が行われていれば、本件のごとき「租税軽減措置」など特に配慮する必要はなかったのである。この点原判決は、本件が国の施策の不十分に起因することには全く触れず、一方的に被告人に重い刑事責任を課すことは責任主義の観点から極めて不当である。

(二) 非同和地区住民に対する「税務対策」の不当性はいうまでもないが、これは前記「租税軽減措置」に必然的に派生してくる困難な問題であって、むしろ税務当局の問題であり被告人一人に重い刑事責任が課せられるべき問題ではない。

即ち、同和地区納税者に対しては特措法・国税庁長官通達により特別の租税軽減措置が認められているが、先にみた文献が指摘するとおり「同和地区納税者」の認定をめぐっては困難な問題が横たわり、出生地を離れた部落住民をそれと認定することに誤りが生じないとは言いにくいこと、行政の積極的部落住民掘りおこしによる差別拡大の危険、行政の主体性の欠如等、被告人には関係しない右諸条件が本件地区外住民の税務対策を胚胎させる基盤となっていることを見逃してはならない。

原判決は、「本件申告行為についての税務署側の対応にも問題がある」(三二丁表)とするが、具体的にどのような対応が問題であるのか全く説明していない。本件の構造的問題把握なくして被告人に対する量刑の適正はなしえないのであって、この点においても原判決は極めて不十分である。

(三) 非同和地区住民に対する税務対策の悪用は、主導者長谷部であり、被告人ではない。起訴された件数だけで長谷部は三〇件(三七名分)、取得金額も莫大であり、さらに被告人ぬきの松本らとの税務対策も数多く存在することからみても(被告人一九回二〇丁)、利権屋である右長谷部が同和事務局長として中枢を掌握し、運動家である被告人を利用したのであり、被告人外の事情に大きな責任非難が課せられるべきである。

原判決は、この点「どちらと言えば、被告人は長谷部に指示されて行動した部分が多い」(三二丁表、傍点引用者)とするが、本件記録上本件すべてにつき被告人が自ら主導的に行動したとの形跡は全くない。この意味で、原判決には処分に急なあまり証拠に基づく冷静な認定を怠っており極めて不当である。

三、責任主義違反その二(被告人側の事情の無視・軽視)

1、関与態様の僅少

被告人は部落解放の活動家としての力量をかわれて肩書こそ「副会長」の地位を有していたが、被告人自身途中解放同盟から同和会に加入してきたこと、一定の部落解放の信念・正義感をもっていたことなどから、当初より会員であり同和会の中枢を握る長谷部・鈴木とは一線を画されており、排除されていたことは鈴木供述からも明らかである(弁九号証、一三丁裏)。

従って、長谷部らは、納税対策として利を得るため被告人を利用できる局面において部分的・一時的に利用したのであって、被告人の関与は極めて小さく、取得金額も長谷部らに比して極めて少ない、この意味で、本件を組織犯罪、とりわけ被告人が副会長の地位にあったとの形式面だけで単純にとらえることは正確ではない。

2、違法性の認識・利得意図の不存在

原判決は、カンパ金を被告人個人の預金口座に入金したことをとらえて、利得意図の一徴表とするが、被告人は前述の通り本件当時違法性の認識が全くなかったとに加え、これらの金銭を私消したことはなく、むしろ同和地区住民雇用のためタクシー会社設立資金とする意図で保管したものであり(被告人二〇回三九~四〇丁)、その所在もすべて明らかにし、しかも長谷部・鈴木・渡守らと異なり被害弁償等本件を機に返済すべきものはすべて返済している。この点からみて、部落開放活動家としての信念をもつ被告人には利得意図は全くない。

3、返済額の多額

被告人は、活動家として事態を深刻に受けとめ、自己にでき得る限り辰巳同和地区住民等の不利益を解消しようとして、本件三件金二六四〇万円の弁償はもちろんのこと、駒井五〇万円、高岡三七万円、村井(幸)二三五万円、木下(静)四〇〇万円、木下(里)四〇〇万円、孫一七〇万円に各々返済し、その額は合計三九三二万円で本件による入金額をはるかにこえ、その結果計七名より嘆願書も提出されている。これは長谷部・鈴木・渡守ら同和会の中枢を握る幹部とは全く異なる著しい点である。この点の事情を原判決は極めて軽視ないし無視している。

4、刑事司法的・社会的制裁

被告人は初犯であり、初めての逮捕、勾留を受け保釈まで六か月半の長きにわたる身柄拘束を受けた他、初めての公判請求に二年半の長期間出頭・審理の苦痛を強いられた上、原判決では懲役一年および罰金五〇〇万円の各実刑判決を受け、被告人の心理的負担には重大なものがあり、裁判の感銘力も充分である。

さらに社会的にも、近隣同和地区住民からの信頼失墜、新聞報道による社会的制裁、加えて本件を理由に辰巳工営は行政入札からはずれていること等被告人はすでに多大の苦痛を受けている。

5、同和会からの離脱

被告人は、本件によって深刻な反省をせまられ活動家として同和会およびこれから派生した自由同和会の活動のあり方に疑問をもち、いずれの会にも関係せず、部落開放の途を模索している。この点で、本件組織的犯行の原因となった長谷部らとの接触を全く断っており、その原因は既に解消され再犯のおそれは全くない。

6.被告人の実刑処分による社会的損失の大きさ

被告人は辰雄工営の実質的経営者として従業員一〇名の生活保障、父死亡後の老母の老後保障を現在果たさなければならない社会的重責を担わされている。もし、被告人が実質一〇か月もの間従業員、家族と隔絶された場合、多数の人間の生活破綻は火をみるよりも明らかである。

四、未決勾留日数不算入の不当性

被告人は、昭和六〇年六月一五日勾留され、同年一二月二七日保釈となるまで実に六か月半の長きにわたる未決勾留の身柄拘束をうけた。この間同年七月二五日、八月一五日起訴後、検察官の証拠整理に手間どり追起訴が二か月あまり遅れ、一〇月一二日にまで遷延してしまったのであり、これは被告人とは全く関係のない事情である。

にもかかわらず、原判決は未決勾留日数としてわずか六〇日=二か月しか算入せず、極めて不当である。

五、結論

よって、以上の諸点について責任主義の原則にもとづいて刑事政策的に十分に斟酌すれば、被告人に対し社会内処遇が最も賢明かつ適正であり、この点で原判決は処罰感情に走るあまりその量刑はあまりにも被告人に酷であって不当であり正義に反するものであるから、是非当審で破棄されなければならない。

別表一

〈省略〉

別表二

〈省略〉

計 四六億八〇五〇万円

内譲渡所得関係分 三〇億二一〇〇万円

相続関係分 一六億五九五〇万円

京都地裁昭和六〇年(わ)第五四七号外所得税法違反等被告事件の判決書から作成

別表三

〈省略〉

正規税額合計 一七億六、五七八万三、九〇〇円

申告税額合計 一億二、二六四万一、六〇〇円

ほ脱税額合計 一六億四、三一四万二、三〇〇円

右申告率 七・〇パーセント

右ほ脱率 九三・〇パーセント

カンパ金合計 七億三、六六三万五、〇〇〇円

京都地裁昭和六〇年(わ)第五四七号外所得税法違反等被告事件の論告要旨から引用

岩波六法全書

〈省略〉

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